ずっと待っているから。
僕はずっと待っているから。
そう最初に心に決めたのは、いつのことだっただろうか。
何を待っているというのか。
待っていたら手に入ったとでもいうのか。
彼が決して自分を向いてくれないとわかっていながら、何を期待していたのか。
わからない。
思い出せない。
覚えているのは、背中に感じる彼の存在だけ。
それだけだった。
高校二年の夏。
蝉の声が煩かった。
廊下はクーラーの整っている教室と違って蒸し暑かったが、全開の窓から心地良い風が舞ってきて、喉元からするっと制服のシャツの中に滑り込んで体温を下げてくれた気がした。同じ風がニールの焦げ茶色の襟足の髪も揺らしていた。
「俺さ、刹那と付き合うことになったんだよな」
「……へえ、そうなんだ」
咄嗟に声のトーンを下げた。
下げても震えは隠せなかったが、刹那との明るい未来に気を取られているニールは気がつかなかったはずだ。
横を大股で歩く同級生の、端正な横顔を仰ぎ見る。
夏の暑さを跳ね除ける力強さが漲る、太陽のような大ぶりの笑顔がそこにあった。
夏休みが終わり軽く日焼けした肌に、蒼い瞳がビー玉みたいにきらきらと光っていた。好きな人、同じクラスの刹那を手に入れた喜びが体全体から溢れ出て、横を並んで歩く自分にも降りかかってくるのが怖かった。
いやだった。
「お前には最初に報告したかったんだ」
「どうして」
「どうしてってそりゃ、ダチだから」
当然だろ。ぽんと大きな手の平が頭を押した。バスケットをやっているからだろうか。ボールを片手で掴むように、頭の鉢をきゅっと掴まれる。だがその手は髪の毛で滑ってすぐさま離れた。
さらさらさら。
癖のない自分のストレートヘアが癪だった。刹那のような癖毛ならニールの指に絡みついて離れないでいることもできたのに。くだらない瑣末なことにまでちらりと嫉妬した。
「刹那のことは去年から可愛いやつだなって見てたけど、思い切って言ってみてよかったよ。あいつもまさか同じように俺を考えていてくれてたなんて全く知らなかったからさ」
「そうか」
「つうかこれで俺もまあ男が好きなんだってはっきり自覚したわけなんだけどな」
「そうか」
「とは言ってもこれからも特に何か変わるってわけでもないんだけどな」
「そうか」
「お前さぁ、そうかそうかって他に何か言うことないのかよ」
「そうか」
「……」
突然聞こえなくなった声を訝しんで見上げると、いきなりおでこにぴしっと小さな痛みが走った。
「なんなんだお前は」
「な、何なんだってそれはこっちのセリフだ。急に痛いじゃないかっ」
でこピンされた額を手で庇いながら睨むと、ふいにその手を握られた。
「……っ」
「お前が俺の話全然聞いてないからだろ」
「別に俺が聞かなくても、…」
「俺はお前に話してんだよ。聞けよ」
真顔で迫るニールの顔に、
「そんなこと、僕が知ったことか」
つっけんどんに言い放ってぷいっと顔を背けた。
それしかできなかった。
「ったくお前はどうしてそう可愛くないかなぁ。ちっとは刹那を見習えよ」
究極に痛いセリフ。
「お、噂をすれば、だ」
さっきでこピンで使った手を今度は前から歩いてきた刹那に振っているのを、自分はただ傍観しているしかなかった。
刹那の腕を引き寄せるニールの手。
耳に何やら囁く密着した動作。
さっきまで自分とニールが主役だった時間が、刹那とニールにとって代わり、自分はただの傍観者だ。ニールを挟んで自分と刹那。三人で並んで歩いても、自分だけが違うレーンを歩いている。
自分はもうニールの隣に並んではいけないのだ。
やっと実感した。
それから二度と、ニールの隣を歩くことはなくなった。
高校を卒業するまでも、同じ大学に通うようになてからも、常にニールの前を歩いた。
並んで歩くのは自分じゃない。三人でいるときはいつも斜め後ろに二人の存在を感じていた。
どんなときも先頭を切って歩いた。卒業旅行で道が分からない場所でも、サークルのフィールドトリップでジャングルのようなけもの道を歩くときでも。
どんなときでも刹那の幸せそうな顔を見なくてもすむように。
ニールの刹那を慈しむ視線を見なくてもすむように。
それでもたまに、二人の姿が目に映ることがあった。
廊下を歩いているとき。週末の映画の感想や訪れた場所に賑わい、二人にしかわからない話題が背中の後ろで充満し、それが息苦しくて外を眺めた。
晴れ渡った空に開け放たれた窓。校庭から聞こえてくる運動部の掛け声が二人の声を消してくれればいいと思っているそばから、窓ガラスに映る二人の姿を目端が捕える。
きゅんと胸を突き抜けてくる苦味。自分は見ているだけでいいと第三者を決め込んでいても捨てきれない本心。どうしてこの男のことが好きになってしいまったのだろう。彼が別の誰か、自分の友人を選ぶと知っていたら好きになどならなかったのに。好きになる前に無理矢理自分を諫めたのに。
「……なあ、だよなぁ、おい、ティエリア」
「な、なに?」
「なんだお前聞いてなかったのか」
「なんでぼくが聞いてなきゃいけないんだ、二人で話していてくれ」
「冷てえやつ」
冗談めいた非難に続いて、ぽんと頭を叩かれる。大きな手の平から伝わるニールの温もり。ついこの前まで何かを期待していたニールの手。今は他の誰かを包むためにある手。
急に涙が込み上げてきて、下唇をきゅっと噛んだ。
好きだ。やっぱり好きだ。
刹那に対してだけ見せる甘やかな優しさも、刹那という恋人を得たあとも今までどおり細やかな友情を投げつけてくる鈍感さも、全てひっくるめて、好きだ。
これからいつまでこの気持ちを抱えていけばいいのだろう。二人が別れるまでか。それとも自分がニールとの友人関係を切るまでか。
それとも永遠に、か。
選択は自分の手の中にある。それだけが救いだった。
「お前たちのように勝手に盛り上がっている奴らには冷たいぐらいがちょうどいいんだ」
外を見たまま言葉だけ投げると、「お前は本当に天邪鬼だな」とまた頭をポンと叩かれた。
目の前が一気に滲んだ。