久しぶりに二人そろってお休みとなった週末。
食料品を買いに外に出た先で、珍しくティエリアが街を歩きたいと自分から要求してきた。
基本的にティエリアは出不精だ。どんなに天気が良かろうが用事がなければ家から一歩も出ないし、逆にどんなに台風で傘が裏返しになろうが自分の気が向けば遊びに出掛ける。ニーが用事があるからと誘っても「じゃあお前一人で行けばいい」とつれなく言われるのは日常茶飯事だ。
それを今日は自分から率先してショッピングに行きたいなどと殊勝にも「いいか?」と一応ニールの許可を求めてきた。
ティエリアにベタ惚れのニール、断る言葉など持ち合わせてはいない。当然の如く快諾した。
街の中心の一角は沢山の歩行者で賑わい、その間をニールはティエリアの腕を軽く掴んだまま歩く。
どこかを掴んでおかないといつの間にかいなくなっているのがティエリアだ。
人の話など聞いちゃいない。
喋りながら横を見ると、忽然といなくなっていたりする。
梅雨のこの時期、久々に晴れ渡った空には飛行機雲が数本すっと伸びている。軽く吹き付ける風が気持ちいい。
ぶらぶらとあっちを見、こっちを見、四本の足はふらふらと足取る。ちょうど夏のバーゲンセールが始まった時期で、どの店も派手な色のセールを知らせる打ち出しをあちらこちらに張り出している。
突然、ティエリアの足がぴたっと止まった。
「ここに入るぞ」
宣言してティエリアが入っていく店構えに二ールはぐるりと視線をはわす。
「…チャイルド…ブティック……?」
子供とはとんと縁がないニールでも知る有名で高級な老舗子供服の店だ。
沢山の支店を構え、子供用品の贈り物としては常に上位にランクインされている店名はニールにも既知だ。
隣店と同じくセールの札がいたるところにかかっているショーウィンドウには、愛らしい夏服をきたマネキンチルドレンが楽しげに手をつないで遊んでいる。
いや、楽しいかどうかはわからない。最近のマネキンは顔がついていないからだ。ただ躍動感あふるる四肢が、ニールに元気はつらつな子供を連想させる。
(ミレイナみてえぇだな…)
思わず一人でくすっと笑いを漏らしてしまった。
イアンの目に入れても痛くない愛娘ミレイナを思い浮かべる。二十歳を過ぎたのに未だに目の前のマネキンと同じような体系でお子ちゃま風味丸出しの小娘は、ニールにとって妹のような存在だ。素直にかわいいと思う。
恋人に対して抱く「かわいい」ではないが。
ニールの恋人、ティエリアは別の意味でかわいい。かわいすぎて困る。
ぎゅっと抱きしめたら潰し殺してしまいそうなほどに。
キスしたら口からティエリアの中に流れる液体を全てすすりとってしまいたいとさえ思う。
朝起きて自分の腕の中で半口開けて眠る姿を見たら、頭ごとバリバリと食べつくしてしまいたい衝動に駆られる。
もちろん食べないが。食べたらなくなってしまう。永遠にティエリアを味わうためには、ワンアンドオンリーの強烈な欲求に身を任せるわけにはいかないのだ。
何かがコツンと左足の脛に当たった。
「やべぇ…」
はっと我に返る。一人ティエリア夢遊トリップしていたようだ。
「あら、ごめんなさい」
若い母親が子供を乗せたベビーカーを押しながら店内に入っていくところだった。ちょうど子供のぶらぶらした片足がニールに当たったらしい。髪を後ろで一つに纏めた母親はもう一度「ごめんなさい」と言いながら頭を軽く下げ、そしてニールを見た。その顔がぽっと赤くなる。
(…? 何か顔についてたか、俺)
それとも一人ティエリアの甘さに浸っている自分はおかしい仕草でもしていただろうか。
母親は店内に入ってからも何度かこちらを振り返っていた。
男一人、子供服屋の前にいるのはやはり変なのか。
じゃあ店内にいるティエリアはもっと変ではないか?
ニールは店内に足を踏み入れてぐるっと見渡す。ティエリアはどこだ…。
「……」
杞憂だったようだ。ティエリアは若老様々な女性の中でごく普通に同化していた。
たしかにティエリアの外見は一瞬男か女か判断がつきかねる。十メートル程先で真剣な表情で商品を手に取っている顔は女だと言われれば誰もが反論する根拠は大して持ち得ないだろう。「俺が女王だ。文句あるか」と無音で発する威圧感は、時に人を圧倒的な押力で後退させるマイナス要因にはなる。でもその威圧感こそがティエリアの圧倒的な美しさを作り上げている。
そう信じている自分はただえこひいきしているだけなのか。自分が相手を好きすぎる余りに、意地悪な魔女すらも白雪姫より美しく見えてしまうのと同じ現象なのだろうか。
その魔女、もとい白雪姫が顔を上げた。暫しキョロキョロし、ニールを見つけると赤い瞳が「こっちに来い」と命令を発する。
ニールは若い奥様方の間をすり抜けて行くと、
「これ、どうだ?」
ティエリアがアイボリーホワイトのズボンを手に聞く。目の前の棚には「150」と明記してある。子供服のサイズの一つのようだ。隣の棚にも「140」とある。
「どうだ?」
もう一度尋ねられた。今度は腰にそのズボンを当てた状態でだ。ズボンはティエリアの細い足の膝小僧より少し下までを隠している。子供には長ズボンでも、大人では背が高くなくても七分丈にはなってしまう。
「いいんじゃねぇの? 悪くないぜ」
「そうか…」
満足そうにうんと頷くと、ティエリアはそのズボンをニールに手渡してくる。持っていろという意味だ。
「まあその子供の身長にも寄るだろうけどな。どのぐらいなんだ?」
「何がだ?」
「だからその子供」
「子供?」
「そう。これ誰かへのプレゼントなんだろ?」
ティエリアは少し考えたように黙っていたが、「そうだ」と言って今度はシャツが並んでいる棚の前であれこれ広げ始めた。その棚にもやはり「150」と記されている。
こんな洋服をプレゼントする子供の知り合いがティエリアにいたのかと、正直ビックリだ。
ニールの知る限り、ティエリアは子供どころか大人の友人すら数える程しかいない非社交的な人間だ。
誰か知り合いの子供なのかもしれないが、それにしてもティエリアの交友関係は200%把握しているつもりだったニールとしてはちょっと居を突かれた気分で面白くない。
ティエリアが動く横で携帯ストラップのようについて回りながらも、自分の顔が不機嫌気分を噴き出しているのがわかる。
そんなニールの顔を見たティエリアが、自分も不機嫌丸出しで聞いてきた。
「何を怒っているんだ?」
「別に怒っちゃいないさ」
「うそだ」
「うそじゃねえって。お前こそ何不機嫌な顔してるんだよ」
「してない」
「してるだろ」
「してないっ!」
してると声を荒げそうになって、ニールは自分にセーブをかけると一つ息を吐いた。昔はこれで自分も感情的になってよくティエリアと引っ込みのつかない喧嘩になった。長年付き合ってきて、どうやってティエリアと水掛け論のようなくだらない言い合いを避けるか、ニールはティエリア攻略法を完全にマスターしたはずだったがたまに忘れてしまいそうになる。
そういうときは一呼吸置いて、自分の言葉を一度飲み込む。そうすると冷静になれる。ティエリア相手に激高してはいけない。ティエリアが冷静になりきれない性格だから、ニールが努めてそうならなければならない。
自分が一歩引いて折れる。これが夫夫円満の秘訣だ。
「ティエリア、別に俺は不機嫌じゃないから」
軽く紫のおかっぱ頭を撫でながら引き寄せる。トンと自分の鎖骨に当たるティエリアの額に血管が浮き出ている。その青白さがティエリアも緊張して不安だと告げている。
「…ニールは外に出ていろ…」
「は?」
「お前はここで目立っている…みんな、見てる」
言われて周りを何気に見やれば、さっき子供の足がぶつかってきた母親含め数人がたしかに自分を見て何気に赤くなっている。
(そういうことか)
ニールにとって街を歩いていて女性の視線を感じるのは日常当たり前すぎて気にもとめていないが、ティエリアは嫌なのだ。それこそ不安なのだろう。だれか別の女性がニールに声をかけるんじゃないかと。ティエリアは周りの雰囲気に気づいて機嫌が悪かっただけだ。
本当に可愛いやつ。
「馬鹿野郎。俺はいつもお前だけって言ってるだろ」
ニールは周りに見せつけるように、つむじに唇を落とし態度で「気づかなくて悪かった」と告げる。これ以上ティエリアを不安にさせないためにもさっさと買い物を済ませて店を出るしかない。
「それも買うのか?」
背中を愛情込めてさすりながら、恋人が握り締めているTシャツを目指しした。
「…色は、悪くない、と思う…」
「そうだな。いいと思うよ」
肩に三つずつアンティーク風な細工のついたボタンがついた水色のシャツは、これからの暑い夏には爽やかそうだ。
「じゃあこれも買う」
ティエリアはニールからズボンを受け取ると、シャツとズボンを持ってレジに向かった。
ちょうどレジカウンターには客がおらず並ばなくて済んだ。
ティエリアから二点の洋服を受け取った店員が「贈り物でよろしかったでしょうか?」と尋ねてくる。
ティエリアとニールの風貌と子供を連れていないことから連想し、先回りして尋ねてくれたようだ。
ティエリアはコホンと小さく咳払いした。
「当然だ」
「男のお子様ですか?女のお子様ですか?」
「……お、男だ」
「かしこまりました」
店員はにっこり笑うと棚から青い贈答用袋と水色のリボンを用意した。別の店員が会計を終える間に素早く、しかし丁寧に包装を施していく。
ラッピングされたズボンとシャツをまた紙製の手提げ袋に入れてもらう。
「お前、男の子の知り合いなんていたんだな」
さりげなく聞くと、ティエリアはぎょっとしたような顔をニールに向けた。
「ああ、まあな」
「誰の子供?」
追い打ちをかければ、
「さあ…知らない」
意味不明な答えが返ってきた。
おかしい。普段も普通の人と比べると挙動がおかしいのがデフォルトのティエリアだが、今日は更におかしさに拍車がかかっている気がする。つむじへのキスだけでは愛情表現が足りなかったか?
逃げるように店を出ようとするティエリアの腕をしっかり捕まえながら、こういうショッピングも悪くないがやはり二人きりで周囲を気にせず落ち着ける我が家に籠るのが一番かもと思ったニールだった。
梅雨が明けた次の週末。
どこにも出掛けず、庭に春先に完成した広々としたウッドデッキの上でのんびりと寝そべっていたニールの耳にパタパタとティエリアの足音が聞こえた。
やっと起きてきたようだ。腕時計は昼少し前を指している。ニールは早起き派だがティエリアはどう頑張っても太陽が完全に昇りきらないと起きれない。目覚まし時計三つかけても起きるどころか、よく話のネタにある「知らないうちに止めること」すらできない。
足音が自分の横でとまった。
瞼を開き、「起きたか?」と聞くと、「よく寝た」と返答がきた。
そりゃそうだろう。昨日は夜九時からの二時間番組の途中で既に鼻ちょうちんを出していた。
「そうか。よかったな……あれ…?」
寝そべる自分の横で立ったまま、片腰に手をあててコーヒーを啜っている恋人を見つめた。
細く白い体に纏わるシャツとサブリナパンツ。
いや、これはサブリナパンツなどではない……。
(お前、それ自分のだったのか……)
ティエリアが来ている水色のシャツとアイボリーホワイトのパンツは、先週末に子供服屋のセールで購入したティエリア曰くの「男の子へのプレゼント」だった。
男の子には違いない。確かに。
自分用に買ったのが恥ずかしくて贈り物と称して購入したのだ。別に子供サイズが着られるなら大人が着たって悪いことはない。むしろ値段が安い分お得感もあるだろうに、ティエリアの中では恥ずかしさが勝ったのだろう。
ドキドキしながら嘘をついて購入したのに、こうやって着ていたらバレバレなのだが、そこまでティエリアの頭は回っていない。うまく贈り物だと称して購入できたところでティエリアの中でのミッションはコンプリートしてしまっているに違いない。
マジでかわいい。
頭隠して尻隠さずとはまさにこれ。
ありきたりの諺が頭に浮かんで、ニールはぷっと吹き出した。耳聡くティエリアが怪訝な顔をする。
「なんだ?」
「いや、なんでもない」
「…ヘンな奴だな」
(そりゃ、お前だよ、ティエリア)
ニールは愛情たっぷり内心で呟いた。