「最悪だ・・・ありえねえ・・・」
アイルランド出身の俳優ロックオン・ストラトスの五年ぶりの休暇は、今ありえない程最悪のピークに達していた。
本人が望むと望まないとにかかわらず、長年ショービズの世界で生きてきたこのアイルランド人は世界でも顔が売れている。
まあ俳優と一言でくくるにしても、いろんな種類があるわけで・・・。
演技力はゼロなのに顔と時流だけで売れている青年。色気と舌っ足らずな言葉づかいで媚びるグラビアアイドル。見た目は悪いけれどその演技力で常に評価されている中堅親父。歌も映画もドラマも中途半端に足を突っ込んでなんとか人の記憶に残っているパー男。
そして、今目の前で起こった出来事に対処しきれずに、逆に疲れた顔でボーっと見つめるしかないロックオン・ストラトスを含む、なぜか顔も演技も抜群にできて注目を集めてしまう若手。
顔も演技もよくて若いとなれば、そりゃファンの数も半端じゃない。世の中にはいくらでもどこへでも追っかけていく熱狂的と言われるファンは存在する。だからこそ今回の休暇は極秘も極秘、ノルマンディー上陸作戦など比じゃないほどのトップシークレットだったはずなのだ。
なのに・・・。
ロンドンの空港で飛行機に乗ろうとしたら、大勢のプレス関係者がカメラマンを引き連れて待っていた。もちろん一人なのか、誰かと一緒なのか、などというプライベートに思いっきり両足土足で踏み込んだ質問付きだ。ショービズ世界ではこういうプレスとのやり取りを好む俳優や歌手も多いが、ロックオンは大が付く程のプレス嫌いで有名だ。それでもプレスは寄ってくるからその根性は別の意味で感心に値するだろう。
まさに飛行機に乗る瞬間までへばりついてくるパパラッチから逃れて、目的地であるこの島への唯一の連絡飛行機が飛びたつ空港にたどり着いたら、今度は突然の霧のために乗り継ぎの飛行機が欠航になったと告げられた。しかも予約していた便は目的地へ向かうこの日の最終便で次は明日の朝一番だという。謝りながらもロックオンをチラ見するグランドホステスから代償としての現金五百アールと空港に隣接するホテルへのタクシーチケットをもらったが、どんなに金銭をもらっても、その日の宿と食事を出してもらっても、もう目的地に同日中に着くことはできない。
仕方なくロックオンは携帯電話で現地で待つアレルヤに事の次第を連絡しようとしたら携帯電話の充電が切れてたようでつながらない。携帯充電器を買おうとキオスクを物色したら見当たらず、店員に尋ねたら「それはなんだ?」と逆に驚かれた。ロンドンではロンドンタイムズと同じぐらい有名で需要率もあるのに、同じAEU加盟国とは言えどどうもこの国は遅れているらしい。
しかたがないので空港にある公衆電話を十五分かけて探し出したらクレジットカードが使えない旧式電話で、小銭を持たないロックオンは小銭をひねり出すためにまた十分かけてキオスクに戻り、食べたくもないチョコレートを買って小銭を作った。しかも後でみたらそのチョコレートは自宅近所のスーパーで当たり前に売っているやつだった。
やっとの思いでアレルヤに電話をし、到着が朝になると告げると、そういうことは多々あることなのかアレルヤは別に驚きもせずに明日の朝迎車を予定どおり空港に向かわせると快諾してくれた。
航空会社が用意してくれたホテルに向かうと、フロントで夕食用にメインレストランで使うことができるチケットをもらった。タクシーで向かう道すがらレストランらしきものは見当たらなかったので、しょうがなく時間になってレストランに入ったら、同様に欠航の後風を負って一晩ここで明かさなくてはならなくなった旅行客と思しき大勢のグループが一斉にロックオンを見つめてきた。
「あれって俳優の・・・」
あちこちで似たような囁き声が漏れ聞こえてくる。中にはかばんの中から何か書けるものを取り出すような仕草をする奴もいる。
ロックオンはそのまま踵を返すとレストラン入り口に突っ立ったタブリエをつけた店員にチケットを見せてインルームに変更できるか聞こうとしたが、その店員すらロックオンを見ながら今にも何かわかりきったことを確認してきそうだったので、ロックオンは声をかけるのをやめてチケットをジーンズのポケットに突っ込むとそのまま部屋に戻った。
どんなに帽子を目深にかぶりサングラスや伊達メガネをかけていても、バレるものバレる。それはロックオン自身も長年重々解っているが、それでもそういう努力程には効果を発揮しない変装をしたくなるのが人間というものだ。
グルグルなるお腹を何とか我慢して朝三時、迎えのタクシーに乗って空港に戻りやっと搭乗券を手に目的地にたどり着けるはずだったのに、今度は飛行機の整備不良で出発が二時間も遅れた。だったらその二時間分寝かせてほしかった。ローカル線なだけに飛行機もファーストクラスだのというお金を払って快適さとプライバシーを購入できる可能性もなく、皆一律エコノミーというロックオンにとってあるまじき状況の中、飛行機に搭乗するまで待合室で散々いろんな人にサインを求められて、最近雑誌を賑わせた女優との噂の真偽を確かめられた。
ようやく飛行機に乗ってあと一時間もすれば苦難の道は終わると思っていた矢先、気圧の関係からか奥歯が痛くなってきた。数週間前に同じ歯が痛くなったのだが忙しさにかまけて鎮痛剤でごまかしていた自分に腹が立つ。最初に痛くなった時からヤバそうな雰囲気を感じたのだが、ロックオンも普通に人の子、歯医者は怖い。どうしようかと暫くぐずぐずしていたらそのうち痛みもなくなったのでラッキーとばかりに放っておいたのだ。それがまさかこんな状況で再発するとは予想外だったが、痛みはどんどん強くなる。とても目の前に出てきた機内食を食べれる状態じゃない。腹は泣くが歯も泣いている。
ロックオンはアテンダントに痛み止めをもらい、とにかくじっと耐えることにした。あと少しでアレルヤに会える。会ったらまず歯医者を紹介してもらおう。そしてさっさとこんな痛みとはおさらばし、晴れて二か月の待ちに待った休暇を楽しむのだ。そんな色気のない旧友との久々の再会を夢に描きながらじっと我慢に徹してようやく目的地である島に辿りついたのだった。
荷物は少し前ロンドンからアレルヤ宛に送っておいたので飛行機から降りるなり競歩で到着ロビーをすり抜けて、迎えの車に飛び乗った。車に乗ってから自分の今降り立った空港を眺めると、多分ロンドンにある普通の駅の方がよっぽど立派に見えるほどの建物だった。とても年間何十万人もの観光客を迎えているとは思えないその外観に、客が落とすお金はどこに費やされているのか疑問に感じてしまうほどだ。
(ま、これで最悪ともおさらばだ)
島の端に位置する空港から反対側の端にある、アレルヤが経営するホテルがある町まで小一時間。あとは車に揺られていればいい。昨晩もなんだかんだと眠れなかったし飛行機の中も歯痛で転寝すらできなかった。そう思ってここで少し目を閉じようとしたが逆に疲れすぎて目が冴えてしまい眠気が襲ってこない。
仕方がないので流れゆく景色を見ていると、道中ひとつも信号を見かけなかったことに気が付いた。
(すんげえ田舎じゃねえか・・・)
人の噂はアテにならないとはこのことだ。
この島特有の白壁に青い屋根のコントラスト、美しい海、年中海水浴ができる常夏に近い気候、そして世界で一番きれいな夕日が見ることができるといわれている景色、それらをベースにしたバカンス地としての評判が世界中の人の憧れの旅行地としてこの島を至極有名にしている。
しかし・・・。
明け方到着したので視覚しずらかったが、ロックオンの本能が感じるに、ここは余りにも田舎過ぎる。確かにどこもかしこも美しいのかもしれない。でも余りにも田舎過ぎる。まるで自分の故郷アイルランドの北部地方のようだ。ロックオンも田舎は好きだ。特にバカンスともなればゆっくりのんびりと田舎で過ごしたいと思う。だが、それは最低限のインフラが整った田舎という意味だ。
(アレルヤ、てめえどんな田舎に引っ越したんだ?)
なんとなく明るくなりつつある景色を眠い目で見渡すが、まず人工物らしきものが何も見当たらない。道は延々と山の尾根を伝い、定期的に小さな部落を通り過ぎるだけだ。
そして・・・。
その瞬間がやってきたのだ。
山と山の間から道が抜け出て一気に前方が開けて下り坂になった瞬間、ロックオン・ストラトスの休暇始の最悪度を一気にバージョンアップさせる出来事が起こった。
ゴンっと何かが車の前方にぶつかる音がしたのだ。どうやら車が何かを引っ掛けてしまったらしい状況が後部座席に座るロックオンにも瞬時判断できた。
「おいっ、どうした?何か轢いたのか???」
「いえ、ちょっと人を引っ掛けたみたいで・・・」
ロックオンの上擦り声とはうらはらに、アレルヤの寄越したドライバーは妙に落ち着いている。
「引っ掛けたって・・何を?どこに?それって人なのかよ!?」
「ここはよく追突がある場所なんですよ・・・」
「いや、よくあるって人を轢いて追突とは言わねえだろっ?」
ロックオンの問いには答えずにドライバーは外へ出ると車のライトが照らしている物体に近づいた。暫く後部座席から様子を伺っていると、ボソボソと外の話し声が伝わり聞こえてくる。
(人だ・・・最悪だ・・)
最悪だった。いや、ロンドンを出たときから最悪だったから、もう何て表現していいかわからない。でも未だ自分が最悪の状況を脱していないことだけは確かだ。
ロックオンが気になって車を降りると、前方に自転車が倒れているのが見える。自転車に乗った誰かを引っ掛けたらしい。ドライバーの影になって見えないが、明らかに誰かが地面に尻をついているのがわかる。
「おい、大丈夫か?」
車のヘッドライトに照らされた、被害者と思しき人物が振り向いてこちらを見上げた。ワイン色の瞳がロックオンの顔を捕らえる。
「・・大丈夫だ、ちょっと転んだだけだ」
「いやでも先生・・・」
「本当に大したことない」
(ちょっと転んだって・・・車とぶつかってんだぞ、お前・・)
この島では車と衝突してもちょっと子犬に噛まれた程度でしかないのか?ロンドンだったらとっくに野次馬が集まり救急車だの保険調査員だの弁護士だのが駆けつけてるだろう。なのにドライバーは加害者とあって多少なりとも普通の焦りをその顔に浮かべているが、地面に座ったままの被害者からは何の驚きも焦りも見えない。いたって平然としている。
「いや、でもあんた、手から血、出てるけど・・・」
ロックオンが指摘すると、先生と呼ばれた茄子色のおかっぱ頭はロックオンの指差した自分の腕に初めて気づいたようだ。
「あ、ほんとだ・・・」
長袖シャツの左腕のちょうど肘辺りの布地がぱっくりと切れてそこから擦り傷が見える。シャツも傷からでてきた血で赤く染まっている。
「それ結構エグそうだけど・・・」
「先生」は暫く考えるようにじっと傷口を見ていたが、だからといってどうするわけでもなく立ち上がると、洋服をパンパンと軽くはたいて転がった自転車を立て直し始めた。その姿にドライバーが慌てて自転車のサドルを掴んだ。
「っ先生、さすがにだめですよ、怪我もしてるし、車乗って下さい!送ってきますから」
(「さすがに」ってなんだ・・?これより軽かったらこのままさよならするつもりだったのか・・?)
ロックオンが横で退いている姿にはかまわずに、二人はあーだこーだと自転車を間に挟んで軽く問答を始める。
「いい、大丈夫だ」
「ダメですっ!腕から血が流れてるからちゃんと手当てしないとっ」
「大丈夫、家帰って手当てする。ちょっと手、離して」
「いや、それじゃ俺が困りますっ」
「だってお前お客の送迎の途中だろう?」
「そうですけど、やっぱ乗って下さい、お客様もわかってくれますし」
「自転車置いてくわけにいかないから」
「じゃあ自転車も車で運びますから」
「この車、自転車乗らないだろ」
ロックオンの迎車なので普通のセダンだ。しかも今時逆にプレミアついて高く売れそうなほど古い。そして錆びきっている。自転車が乗るとか乗らない以前の問題だ。多分自転車を乗せたらどっかのネジが落ちそうな程ボロい。
ひとしきりの掛け合いの後、「先生」はドライバーから自転車をもぎ取るように自分に引き寄せると、これまた車と同様旧式の使い古したそれにまたがると颯爽と坂道を下り出してしまった。
ドライバーはあきらめ悪く大声で呼び続けてたが聞こえないのかワザと無視しているのか、「先生」は全く止まる様子も振り返る様子もなく、どんどん遠目になっていく。
あの状態で颯爽と自転車を漕げるという精神状態にビビってかける声すら出ないロックオンの目には、それでもその小さくなる姿が何度かよろけて倒れそうになったのが解った。
だが「先生」は都度態勢を立て直し、暫くすると横道に逸れてロックオンの視界から消えた。
姿が見えなくなってやっとドライバーは諦めたように溜息をつく。そしてロックオンに謝罪すると後部座席のドアを開けてくれた。
「最悪だ・・・この島、ありえねえ・・・」
アイルランド出身の俳優ロックオン・ストラトスの五年ぶりの休暇は、こうして苦難の中から始まった。