ガンダムOO オリジナルBL小説

Lesson 9

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 週末の夕方、招かれざる同居人に突然逆ギレされたニールは相手に触発されて自分も逆ギレした。
「なんなんだよっ。相変わらずわけわかんねえヤツ。ったく人が好意で住まわせてやってるってのに結局勉強もしやがらねえ、家事もろくにできねえ、笑いもしねえ、何もできねえって、なんだよ、それ」
 誰もいなくなったリビングで一人大きく手を広げて力説する。かなり虚しい光景だが、思いのたけを吐きだしている本人は気づいていない。
「言わなきゃわかんねってその機会を与えてやったってのに、なんなんだよ。どうでもいい屁理屈ばっかり捏ねるくせに結局何にも言わないで。そんな世の中甘くないんだっつうの。大体最初からしてあいつって何考えてるかわかんねえしさ、本当は何が目的で俺の講義とり始めたかだってわかんねえまんまだし、それに…」
(それに…。それに、なんだ? 何を言おうとしたんだ?)
 興奮したのか、上手く頭がまとまらない。珍しい。今までこんなことなかった。
 いつも冷静で計算された会話をするのがニールのニールたる所以だったのに、今の自分は自分ですら鬱陶しくなるほど支離滅裂、いや無秩序だ。そう、まさに男に別れを告げられてヒステリックに正当な筋立てもなく攻め立てて泣き叫ぶ振られた女のように。
 まるであいつ、今意味もなくクッション抱えて飛び出していったティエリア・アーデみたいに。
(俺、あいつに百パーセント汚染されてしまったか?)
 汚染。ティエリア・アーデシンドローム、またはティエリア・アーデ症候群と呼んでもいい。その世界でも類を見ない不可解極まりない猛威をふるう菌に、自分は汚染されてしまったのかもしれない。
 このティエリア・アーデ症候群にかかると、正しく物事を判断することができなくなるのだ。世の中の全ての基本となる方程式が瓦解して、何もかもが無秩序になる。「雨のち曇り」が「雨のちアイスクリーム」というニールにはあり得ない設定がまかり通ってしまうのだ。
 しーん。静かだ。
 ティエリアが出て行った今、ニールがキレても文句を言ってもそれに相槌を打ってくれる人はいない。こんなことなら最初にキレておくんだった。「キレる」という人間として一番意味不明な行動の一つをもってしても、ニールはティエリアに勝てなかった。先にキレてニールを肥溜め代わりにしたティエリアは先取り勝ちだ。
「なんだかなぁ」
 苛立ち紛れにコーヒーを淹れ、ソファにどかっと座って啜る。
 一人なのだから当然だが、急に訪れた静けさに落ち着かない。尻のあたりがもぞもぞする。
(どうしたんだ、俺)
 コーヒーを飲み干して、今度はソファに寝そべってみる。天井を眺める。もう一度座りなおしてローテーブルに散らばる本の一冊を手に取りパラパラめくる。直ぐ飽きて本をたたむ。またソファに寝そべる。
(俺は就職試験の合否連絡電話を待つ大学生か……?)
 自分で内心突っ込みながら、どうして自分がこんなに落ち着かないか分析する。
 ティエリアと喧嘩、いや逆ギレ対決に負けたからか?
 違う…と断言できない歯切れの悪い自分が憎々しい。
 逆ギレ対決はともかく、この二ヶ月ちょろちょろと周りにいたモノがいないことに居心地悪く感じる。
 ティエリア・アーデはその無理矢理押しつけてきた天使のような笑顔を皮きりに、ニールの生活奥深くへ一気に潜り込んできた。二ヶ月という時間が同居するのに長いか短いか、ニールにはわからない。今まで一度も誰とも、恋人とさえも同居などしたこともなかったのだから。でもこの二ヶ月という時間は、ティエリア・アーデが今横にいない状況においてニールに違和感を覚えさせるには充分なものだった。
 朝起きてから大学に行くまで。大学の講義中。大学から帰ってきてから夜寝るまで。いつもティエリア・アーデは視界のどこかにいた。視界内にいなければ、ニールの耳が常に彼の出す音を拾っていた。シャワーを浴びる音。冷蔵庫をひっかきまわしている音。ベッドの中で軽い寝息を立てながら「クーリングオフはなしだ」と寝言の音。
(俺ってもしかして最近あいつ漬けだった…?)
 今更自覚しても遅いが、ニールの生活は既にティエリア・アーデでまみれていた。
(いいのか、これで……)
 疑問は残る。突然自分の平穏かつ高尚な生活に武力介入してきた理解しがたい生徒にこんなにも乱されて絆されていいものなのか?カタギリのように顔良しなら何でもござれの無料開放男なら何の疑問も持たずにティエリアを受け入れて美味しい場面は必ず頂いて後は適当にお茶を濁したりするだろう。
 それもいい。それでもいいのだ。ニールだってもっと適当にこの生徒をあしらえばいいのだ。その権利も理由も十分ある。
 あるはずなのに。
 邪念を払うように頭を振る。ドカっと両足をローテーブルの上に載せてソファ上で大の字になる。
 考えれば考えるほど、ティエリア・アーデの顔がちらつく。あのボロンと毀れてきた大粒の涙を思い出す。すごく大きな粒だった。こんなに大きな涙を流すんだ。
 あのティエリア・アーデが泣くなんて。
 考えたこともなかった。ティエリア・アーデが泣く顔を。
「あ〜、だめだっ、もう」
 四肢をバタバタ動かす。我儘を言う子供のように。
 トサッ。右足がテーブル上の本を蹴って落とした。眼だけで床を追う。カタギリ達が乱入してくるまでティエリアが読んでいた本だった。学問に携わる者、本を粗末にしてはいけない。ニールはよっこらしょと腰を上げて本を拾い取る。ギリシャ語で綴られたそれはニールにはさっぱり理解できない。ぺらっと中を捲ったが堅いギリシャ文字で記されていて見当もつかない。ニールは綴じようとして見慣れた地図の記載に手をとめた。
(ん?これって)
 アイルランドの地図だった。もう一度ページをペラペラと捲ってみると、ところどころにアイルランドの郷土品やら建物の写真、地図などが添付されている。ティエリアがさっき読んでいた本はアイルランドの歴史や文化に関する本だったらしい。
(なんであいつこんなの読んでんだ? アイルランドに興味あるのか?)
 しかもアイルランドの本をギリシャ語で…?
(やっぱりちょっと変わったヤツじゃん…)
 自然にぷっと笑いが洩れる。突然押し掛けたり、助教授のニールに無料個人教授を強要したり、笑顔一つで同居人になったり、ともすれば突然ボロボロ泣きだして飛び出したり。
 何がしたいのかわからない。ティエリア・アーデのことが理解できない。
 だが、そろそろ理解する努力をしてもいいのかもしれない。
「さてと、あいつはどこに行ったのやら」
 大学のキャンパスかどこかか? そんなに行くところなどないだろう。あのクッションを抱えただけで財布も持っていないんじゃなおさらだ。まあティエリアの財布は貧乏故に元来何も入っていないようだが。
 ニールは玄関で室内履きから靴へと履き替えると、どっち方面から探そうかと漠然と思案しながらドアを開けた。
「…よお」
「…い、いつまでかかってんだ! は、早く出て来いっ!」
「あ〜、そりゃ失敬」
(なんだかなあ)
 ティエリア・アーデがいた。玄関からこじんまりとした門に続く階段に座って、膝にクッションを抱えて。
 拍子抜けしつつも無意識にどことなく予想がついていた自分がいる。
 ニールはちょこんと座る同居人の横に腰を降ろした。
「お前、今度から飛びだすなら財布ぐらい持って行けよ」
「別に飛び出したかったわけじゃないっ」
「じゃあ何でここで座ってんだよ」
「……」
「ま、いいけどさ」
 それから二人は暫くそこに座ったまま、じっと門の外を漂う生活の流れを見ていた。意味もなく。理由もなく。
 珍しくティエリア・アーデは静かに座ったまま、黙って何も言わなかった。
 だからニールも尋ねるのをやめた。本当は聞きたいことがあったが、今は妙に慣れてしまったティエリア・アーデが横にいる時間をただ普通にやり過ごしたかった。


ニール×ティエリア


 翌週のニールの講義はいつにも増して盛況だった。
 来期からニールの講義を受講したいと考えている新入生や転入生、そして専攻変更生が実際の授業を参観できる日だったからだ。
 毎年この時期に大学中の全ての教授および助教授が設ける無料参観だが、ニールは一回しか参観日を計画しない。
 他の講義では何度も設けるものもあったが、ニールは一回だけと決めていた。その一回ですら本当はやめたいぐらいだ。
 大体自分の講義を取ってもらう為に教える側がどんな内容かチェックできる閲覧権限を与えるなんて馬鹿げているではないか。学生たるもの、自分の興味分野を追及する為に学部を選び、受講講義を選択する。そこにどの教師の授業が面白いだの、どの先生が格好良いだのというファクターは無関係だ。
 特にニールはその容貌からそれこそ全く無関係な文系学生まで参観にくることで学内でも有名だ。どう考えてもお前は数学専攻じゃないだろうというチャラチャラした服装の女子生徒までちゃっかり席についてテキストではなく携帯カメラを準備する始末に、ニールは心底ウンザリし、学部長に参観授業の廃止を申し出たことも枚挙にいとまがなかった。
 かくして今回の参観授業もまさに「スーパー閉店売り尽くし大セール」、実際に講義を取っている学生もあからさまにゲンナリしていた。
 ニールはとにかく無視を決め込んで、いつもどおりの授業をし、課題をどっさり要求し、何とか二時間の講義を終えた。人数が多ければやはり雑音は多くなる。通常よりも声をあげて喋ったせいか喉がひりひりする。
「じゃあ後質問があるやつはいつも通り俺の部屋で受け付けるから。十六時からな。それまで来るなよ」
「え〜、どうしてですか?」
 中ほどに座っていた生徒が手をあげながらおどけたように声をあげる。
「喋りすぎで喉が痛いんだよ。飲み物と喉を労わるような甘い何かを持参で来るなら特別に十六時前に来てもいいけどな」
 笑いが沸く。
 最後に全体を見回す。
(お前、ちゃんと聞いてたか?)
 一番後ろの端、すでに定位置となった席に座る紫の頭を何気なさを装って見やる。遠目からでもティエリアがぼーっとしているのがわかった。いつにもまして理解していない表情だ。授業が始まった時からそうだった。
 また家に帰って教えないといけないだろう。教えても今期ニールは単位をあげることはできないだろう。そのぐらいティエリアの授業理解力は乏しい。可哀想なほどに。本人も解ってはいるだろうが。
 そうまでして自分の授業を受け続ける理由は何なのだろう……。
 ティエリア・アーデという人間も理解するのに時間がかかるが、その理由は最たるものだった。
「よお、ごくろうさん」
 授業を終えて自分の研究室に戻ってきたニールを迎えたのは、いつもの助手ではなくビリー・カタギリだった。
 ソファに寝そべっている。テーブルにはコーヒーにケーキ。どれもディランディ助教授室の備品だ。
 相変わらず他人の研究室を我が物顔で使いつくすのは腹が立つ。
「なんだよ、ったく暇だな、お前も」
「僕は今日は授業ないからね。まあとりあえず座りなよ。コーヒーなら今さっき淹れたところだからよかったら飲んでくれ」
「俺の研究室のコーヒーだっつうの」
「まあまあ、堅いこと言わずに」
 堅いとか柔らかいの問題じゃない…。
 どさっとテキストを机上に置いて、文句を言ったコーヒーを自分のマグカップに注ごうとしたニールの背中に、カタギリが楽しそうに言った。
「僕、あの子と前にどっかで会ったことあるかもって言ったよね」
「あの子って?」
「君の家の可愛い飼い猫」
「俺は猫なんて飼ってねえよっ」
 たしかにティエリアは猫だ。どう転んでも犬にはなれない。
「週末ニールん家行ってからずっと考えてたんだよね、絶対どっかで会ったことあるってさ…で思い出したよ、今朝」
「え?」
 ニールの興味が自分に向いたのを感じたカタギリがソファから起き上がる。ニールも向かいの椅子に座った。
「去年、世界合同会議が人革連主催であったの覚えてるだろ? お前んとこの数学とうちの科学の融合理論提唱って題目で」
 忘れるわけがない。去年の話だ。大きな世界フォーラムだった。世界中の名だたる数学者と科学者が集まり、今後五十年における人類発展と生活の為の新技術を提案、協議、そして採択する重大な位置付けを持つ会議だった。
 勿論ニールもカタギリも招聘されて発表したし、多々の会議に参加した。
「あの会議が何か関係あるのか?」
「あの会議でさ、うちの大学が用意した通訳の一人が、あの子だったんだよ」
「え、マジで?」
 カタギリは満足そうに笑むと、ご自慢のポニーテールを手で手繰り寄せた。カタギリの癖だ。自分が凄いと思っていることを語るとき、カタギリはそのポニーテールを撫でながら話す。どれだけその姿が気色く悪いかは、敢えて誰も言わない。一応偉大な科学者先生だからだ。
「あの会議でうちの大学が用意した通訳は結構な数がいたんだけど、やっぱり専門的なことだし言語数も多いしで、満足にできる通訳ってあまりいなかった。その中でずば抜けて出来たのがあの子だよ。どんな言語も対応してたし正確ですごかった。あの会議開催中あの子がブースに居るのを見たときは、ラッキーだって僕だって思ったぐらいだよ」
 覚えている。
 あの国際会議は出席する大学がそれぞれ必要な通訳を自分たちで連れてくる形式で始まった。この大学からもニールやカタギリを含め多くの出席者がいたので、大学事務局がそれなりの通訳を雇ったはずだ。その中の一人があのティエリア・アーデだったというわけだ。
「あんなに通訳者としては完璧なのに、あの子辞めちゃったんだねぇ」
「なんでわかるんだよ」
「だってこの大学に編入で入ってきたんだろ、あの子? しかもお前の講義とってるんだったら通訳業はやめてるだろ、普通」
「そういえば、前は別の大学で言語学専攻だって言ってたな…」
「言語学なんて彼にはぴったりじゃないか。そっち極めた方がよっぽど将来的にもいいと思うけどね、僕は……でもまあ、彼には彼の理由があってここに来たんだろうけど」
 理由。
 何なのだろう。ティエリア・アーデの理由とは。
 この大学に何か特別な意味でもあったのだろうか? 数学という学問に何か理由があったのだろうか?
 それとも、自分の考えもつかないような理由があるのだろうか?
「あ、そう言えばさ、ニールにお願いがあるんだけど」
 カタギリが思い出したように自分の横に置いてあった本を取り上げてニールに投げてよこした。
「これ、悪いけどサインもらえないかな」
「……」
「あ、欲しいのは僕じゃないから。友人のMSパイロットがさ、ニールの本を読んで感動してサイン欲しいって言ってきてさ」
 目の前に投げ出された本は去年出版されたニールの数学理論に関する最新本だった。ニールの提唱した新しい理論数学の考え方がMSのコンピューター制御に導入されたことで、実際のパイロットの中でもニールの本を読む人が増えてきたことは本の出版社から伝え聞いたことがあった。
「わかった」
 机の上にあったペンで本の表紙裏にサインを入れる。
「悪いな。そのパイロット、前にお前の一般公開講義も聞いたことがあるんだって。凄いかっこよかったって言ってたよ」
 一応人に物を頼むときは、美辞麗句の一つは言えるようだ。
 ……かっこいいって言ってたぞ……
「……」
(なんだ? 何か、この感覚…)
 サインをしたためながら、ニールは何か忘れていたシーンが浮かび上がってくる感覚に、思わずあっと声をあげた。