ガンダムOO オリジナルBL小説

Lesson 10

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「終わった〜」
「お疲れ様です。今日はヤケに多かったですよねぇ」
 最後の生徒がドアを閉めるのを待って、椅子の背もたれを使ってぐっと反りかえる。ボキッという背骨の音が生々しい。タイミングよく助手が湯気の立ったマグカップを机の上においてくれる。
「サンキュ」
 仕事上ではまだまだ駆け出しの助手クンだが、こういうさり気ない気配りがニールのツボをついてくれる。
 おとしたばかりのコーヒーの香りを楽しみながら一口啜ると、喋り疲れた口も軽く始まった頭痛も解消される気がする。
 助手も予想外に多かった生徒の対応に疲れたようで、よっこらしょといつもはカタギリが勝手に占領しているソファに腰をおろした。
 夜もそろそろパブが賑わう時間。講義のあとの生徒の波は指定した16時から引けを切らず、気がつけばこんな時間になっていた。特段自分が教育熱心だとは思っていないが、週に一度のこともあって少々一人一人に時間をかけすぎた。加えて公開授業で気づけば見学に来た生徒の質問にもご親切に答えていた始末だ。
 暫し助手と仕事とは関係のない話をして頭を休ませたが、彼の話は逆にニールの頭を混乱させてくれた。
「…で、彼女ったら僕が買おうと思っていた指輪してるんですよ〜」
「自分で買ったんじゃねえの?」
「違いますよっ!!!だって僕に指輪買ってくれってあれだけおねだりしてきたんですよ。自分で買うわけないじゃないですかぁ」
「…そうか、そういうもんか」
 おねだりしたことと、自分で買わないという二つの行動に関連性が見えず、ニールは曖昧に返事をした。
「そういうもんかって、先生解ってないでしょう!」
「いや、解ってるって」
 本当はさっぱりわからない。でもさすがに思いっきり「本当にわかってるんですか〜」と横目を眇められると、こいつより年上で顔もいいというプライドが軋んでわかったふりをしてしまった。
 助手は「どうしてこうなるのかなあ」と彫刻考える人のポーズで溜息をつく。
 なんでもこの助手クンは長年付き合っている彼女に指輪が欲しいとねだられたらしい。彼女の指定した指輪は助手クンのこの大学の給料ではとてもじゃないが直ぐに「はい、どうぞ」とは買ってやれない白物だったらしく、少し待ってくれとお茶を濁したそうだ。そして彼は節約しながら同時にバイトをしていたのだが、ついこの前彼女とデートをした時に、彼女の指にその指輪が光っていたらしい。問い詰めようとしたものの、気が弱く尻に敷かれている彼はとてもじゃないが聞くことができなかったということだ。
「あれ、絶対別の男に買ってもらったんだ…僕が安月給で甲斐性なしだから…」
 どっちも本当なので、答えようがない。
(一応こいつも自分のことは解ってんじゃん)
「先生、今、本当のことだとか、自分のことは解ってるんだなとか思ったでしょ」
「……」
 考える人がじろっとこっちを睨んだ。
「先生にはどうせ振られ男の気持ちはわかりませんよ…いっつももてて、女性とっかえひっかえで、お金もたんまりある人は悩みなんてないんだ」
「俺がいつもててんだよ」
「いっつもじゃないですか。あの最後の学生だって絶対先生のこと好きですよ。彼女いつも他の生徒が引けてから来て勉強以外のことも話していくじゃないですか」
 最後の学生、アニューについては否定できないのでニールは反論しなかった。先週カタギリと自宅に来たときにはっきりとそういう感情は捨てるように言ったつもりだが、アニューにはちゃんと伝わってなかったのか今日も授業の質問の合間にちらほらと個人的内容を差し入れてきた。当然全て無視して数学の話に徹したが、ワザと無視するのも気分が悪い。もう一度はっきり言って希望を捨てさせなければと思っていたところだった。
「わかった。確かに俺はお前より金はあるし、女には不自由しないよ、たしかに」
「自分で言わないで下さい。どうせいつも本気じゃないし、先生」
「本気だろうが遊びだろうが、それは俺の勝手だろ」
 高価な指輪をねだってくる女なんかにいれあげる程俺は不自由はしていない。敢えて付け加えるとすれば、本気にもなったこともない。誰かが好きという感情には数式が成り立ちにくいからだ。だからこの助手の「指輪を買ってあげたい」とか「そんな女でもまだ好き」という感情はさっぱり理解しがたい。いや、理解という前に人間感情としてそういうものがあるのかどうかの立証も出来ていないのだから、そんな感情は夢物語で世の中にありえないと思ってたりもする。しかし、本音とは敢えて口にするべきではないものだ。十分凹んでいる助手をこれ以上凹ませたら「考える人」が「不貞腐れる人」になってしまう。
「でも俺にも悩みぐらいあるぜ」
「嘘です」
「あるって」
「同情してくれなくてもいいです…」
「別に同情じゃなくて、ホントに」
「どうせ先生は「そんなねだるだけねだっておいて、全然買ってくれないから他の男にでも買ってもらって、それを平気でつけてくる女のどこがいいの?」とか思ってるんでしょう? それでも彼女が好きで問い詰めることも別れようと言うこともできない僕の気持ちなんてわからないでしょう?」
「お前、専攻変えたほうがいいんじゃねえ?心理学とかさぁ」
 一語一句内心思っていたことを言及されて感心したつもりが、またじろっと睨まれた。火に油を注ぐとはまさに今の状況だ。
 肩を竦めると「もういいです」と夫の無関心さに愛想が尽きた妻のような声音が返ってきた。
 助手はニールを話相手にすることを諦めたようにコーヒーをガブ飲みすると、
「資料室の鍵、閉めてきますね」
 と部屋を出て行く。
 ニールは持っていたカップを机上に置くと、また背もたれにもたれて目を閉じた。
 たしかに助手の気持ちはわからない。何かを強請られることも、それを買ってやれなかったら別の誰かに買ってもらうことも、そんな女を見てまだ好きだという気持ちも、全く理解できない。これら事象を答えとして引き出す方程式がないではないか。使うべき方程式がないなんてありえない。だからこの助手の状況も考えていることもさっぱり理解できない。
 自分が理解できないこと、説明できないことは世の中のイレギュラーだ。理屈がつかないモノは全てイレギュラーで世の中あってはならないことじゃないとならない。
 あの紫髪の異邦人のように。
 先週の一件があってから、ティエリア・アーデのことを考えると頭が混乱する。今までどれだけの時間あのこまっしゃくれた男に使うべき方程式を探したことだろう。探して見つからず、そんなことはないとまた考えて、それでも見つからなかった。
 方程式に当てはまらなければニールにとってその存在は「理解不能な存在する理由のないもの」だ。
 そして現存する方程式のどれにもあてはまらないであろうティエリア・アーデも、この理屈からいえば「理解不能」で「存在する理由のないもの」だ。
 だが……。
 カタギリが押し売り親切で教えてくれたことで、ニールは思い出した。カタギリと出席した会議で自分のサインを求めてくれた聴取の中にティエリア・アーデらしき人物がいた。カタギリから友人の為にとサインを頼まれるまで忘れていた。その「ティエリア・アーデらしき人物」はニールの著書を持ってサインを求める人が全てだった中で、一人全く違う分野、「辞書」を持ってサインを求めてきた。
「かっこよかったぞ、お前」
 至極偉そうにそう言ったその人物は、辞書の表紙裏にサインをしてやると、首まで真っ赤にして小さな声で「ありがとう」と呟いた。
「お前が講義してるの見て、気にいったんじゃねえの? でサインもらって、それでも飽き足りなくてこの大学来てお前の講義とったとか…」
 ありえねえ、冗談だと締めくくったカタギリに対し、ニールはそうかもしれないと確信した。
 純情なのだ、ティエリア・アーデは。
 自分のどこを気に入ってくれたのかは知らないが、自分を追いかけてきてくれたのだとしたら……。
 嬉しい。
 素直に感じてから、もう一人の自分が「嬉しいってなんだ?」と詰問してくる。
 わからない。自分でもわからない。ただあのティエリア・アーデに対して負の感情はもうない。あいつのことを考えると喜の感情だけがじわじわと沁み出てくる。
(ったくどうして俺はあいつが気になるんだ? 誰か教えてくれよ…)
「理解不能」には違いないが、「存在する理由のないもの」であるべきなのに、その存在が次第に自分を占領していくのだ。じわじわと。
 これは何なのだろう。なんて言えばいい? どう説明すればいい?
 背中でドアが開く音を聞いた。助手が戻ってきたようだ。
「サンキュ」
 声をかけたら、「まだ生徒が廊下に残ってて吃驚しました」と言われた。
「生徒?」
「ええ、ほら今期から受講するようになったあの子ですよ。綺麗な顔の」
「…ティエリア・アーデ?」
 言うなりガバッと立ち上がったニールに、助手が熊にでも遭遇したような防御姿勢を見せる。
「あいつどこにいた?」
「今そこの廊下で張り出された課題見てましたけど…先生、あの子と知り合いだったんでしたっけ…?」
 疾風の如く部屋を後にしたニールには、助手の後半のセリフは届いていなかった。


ニール×ティエリア


「おいっ!」
 廊下に出て直ぐ、天井にはめ込まれたライトが間引きされた中、ぼーっと立っているティエリアに声をかけた。
 ティエリアは今日壁に張り出した課題が説明された紙を見ていた。いつものよれよれのディパックは足元に転がっている。
 ニールは足早に近づいた。先週、ティエリアと軽い喧嘩になり、彼がプチ家出?をしたときから、様子がおかしかった。いつものような我儘が多少なりをひそめ、朝晩一緒に家に居ても会話がなかった。今日の授業中も喋る合間にちらちらとその姿を確認したが、いつもにもましてぼっとしていて、眼は自分を見ていたが、内容は理解できていないようだった。当然、質問にきた生徒の中にも混じっていなかった。
「お前、こんな遅くにどうした? 何か忘れものでもあったのか?」
 ニールにしては気をつかい、少し優しい声音で聞いたつもりだった。
「数学なんて、大嫌いだ」
「…あ?」
 今更何言ってやがる。人の授業もろくすっぽ聞いてないで、最初からお前には数学は向いてないんだ。そんなことは散々諭してやっていただろう? そう言いかけたとき、先にティエリアが喋りだした。少し堰を切ったように。焦ったように。
「数学なんて嫌いだ。大嫌いだ。どんなに好きになろうとしてもダメだった…お前が好きな学問だから頑張ろうって決めたのに、やっぱり今も好きになれないし、理解できない」
「別に無理に好きにならなくても…」
「ダメだっ!絶対好きにならなきゃいけないんだ。絶対理解しなくちゃいけないんだ」
「……」
「ずっと考えていた。どうやったら理解できるのか、どうやったらこの意味の分からない数字を好きになれるのかって。でも未だに 全く理解できないままだ…お前が理解していることだから、理解したかった。お前が好きなものなら俺も好きになってみようと思った。なのにいつまで経っても理解できないし好きになれないままで、結局頑張ってもお前には好きになってもらえないのかと思ったら、もうどうしていいかわからなくて…」
 ティエリア・アーデは立ちつくしたまま、俯く。たらんと顔を覆う髪の毛の間から、口元が見える。下唇を噛んで何かを耐えている姿が何だかとても切なそうで、普段の不遜で傲慢な態度からはうってかわってしおらしく、そして頼りなく映る。いつものハリケーンが来ても地面に張り付いていそうな態度は、今息をふっと吹きかえただけでも吹き飛びそうなぐらい弱々しい。
ニールは一歩踏み出してティエリアの正面に立つと、
「来い」
 手を差し伸べた。
 熱いものにでも触ったようにティエリアはたじろいだが、強引にその薄い肩を引き寄せると、ニールは自分の腕の中に囲いこんだ。ティエリアの体がガチガチに硬直する。ほうきか何かを抱いている感覚に、思わずプッと噴き出してしまうと、俯きながらも紅瞳が上目遣いでじろっとニールを見る。自分の状況が把握できずに怒っていいのか笑っていいのか何を表現していいかわからないらしい。
 可愛い。いや、「気になる」の表現が適切かもしれない。
 そう、この気持ちは「気になる」だ。それもかなり重症の「気になる」
「お前、前通訳やってて俺のこと見たんだろ?」
「……!」
「カタギリが教えてくれたよ。お前がすげえ優秀な通訳だったから覚えてたって。その通訳辞めてまでこの大学来たのはなんでだろうってさ…」
 ニールはゆっくりと、ほうきと化したままのティエリアに話してやった。たまにコクンと小さく頷く紫の頭はずっと下を向いたまま一度もニールを見ようとはしなかった。
「…で、お前はあんな絶対お前には向いていなさそうなバイトをしてまで俺の大学に来たいと思ったわけだ?」
「…しょ、しょうがないだろ…俺の大学は国立だったけど、ここは私立だから…数学専攻じゃ奨学金も取れなかったし」
「だろうな」
 こいつには数学は向いていない。どれだけこれから何百年と勉強したとしても、こいつには数学は理解できないだろう。好きにもなれないだろう。ニールには確信があった。
 そんな男を、自分は好きになれるのか……?
「俺は、数学ができない奴は嫌いだ」
ニールの最初の第一声に、ティエリアがばっと顔をあげた。重くて顔から滑り落ちそうな瞳をさらに大きく見開いている。泣いてはいない。泣いてはいなかったが、なんとも言えない眉間の皺とへの字になった口元が、泣く以上に切ない気持ちを現していた。
 あんなに我儘なティエリア・アーデにこういう顔をさせれるのは自分だけだ。根拠のない自信が余計に腕の中の人間に愛着心を湧かせてくれる。
「俺は、数学が出来ない奴はきらいだ。でもな、数学ができないお前は嫌いじゃない」
「……」
「俺はお前が気になってる。すげえ気になるよ…なんでだかわかんねえけどな。別に数学嫌いならやらなければいい。そんなことで俺のところから居なくならなくてもいいさ。居たければいればいい。そしたら俺はもっとお前のことが気になってくだろうよ…。数学は放り投げて、今度は俺にギリシャ語でも教えてくれよ」
「…なんで、ギリシャ語なんだ…」
「だってお前ギリシャ語で俺の国のこと勉強してただろ?」
 悪戯が見つかった子供のような怯えるような顔。それすらも気になり始めるとなんだか可愛く思える。どこをどう計算したら怯える顔が可愛いのか、思っているニールにもさっぱり解らなかったが。
 ティエリアの白くほっそりとした顔を両手で包むと、ニールは自分の顔を近づけた。
 数学ができなくても、数学どころか何一つ満足にできないいい加減な奴でも、気になったのだからしょうがない。
 どうして気になるのか。その方程式はまだみつからない。
 これが世の中曰くの「理屈なしの好き」というものであるのなら、そうなのかもしれない。
 ニールにとっては未知の世界に迷い込んだ気分だ。
 それでもこのティエリア・アーデとなら、自分にとってはまだ百パーセント理解し難い怪しげな道で迷っても平気な気がする。
 なぜか。
 ティエリア・アーデは決まった定数ではなく変化数だから。初歩的な方程式に当てはまらなくても、変化数はそれ自身が変化して形を変えてゆく。このティエリア・アーデのように。
 勝手に、そしてたぶん突然いろんな形に変化していくであろうこのティエリアを、自分も横で楽しみに見ていきたい。
 そうすれば、まだ人が知らない新しい方程式が見つかるかもしれない……。
「だから、笑えよ」
「…え?」
 キスでもされると思っていたのだろうか。半目まで虚ろになっていたティエリアが怪訝そうに口をとがらせる。
「契約。お前が数学勉強しなくても、数学オンチでも俺のところに居させてやる契約だよ」
「守銭奴だな、お前は」
 いや、お前にだけは言われたくない。
「お前が最初に自分の笑顔を切り売りしたんじゃねえか」
 言われてみればそうかと一時ぶつぶつ悩んでいたティエリアだったが、覚悟を決めたように…笑うのにどんな覚悟が必要なのか、ニールにはそれこそさっぱり理解できなかったが…両頬を手でもみもみっとしたあとで、じっとニールを見つめた。
 ……。何やら怒った眼の人間が自分を見つめている。昔アジア博物館で見た「般若の面」そっくりだ。
「それ…笑ってるって自分で思ってたりする…?」
「この顔に何か問題があるのか」
「笑ってねえじゃん」
「笑っている!」
「…あ、もしかしてその顔で笑ってるとか、お前思ってたりする」
 むっとした口端を一ミリ増でフルフルと上げた顔は、きっとこのティエリア・アーデにとっては大笑い出血大サービスものなのだろう。
「ったくしょうがねえな…」
 ニールはさっきティエリアが自分でもみもみした頬にキスすると、また熟れたザクロ色にまで染まった耳にちらっと囁いた。
「お前をほんものの笑顔を見ることができる方程式があるなら、是非教えてくれよな」