ティエリア・アーデは今夜もまた、サンデッキから見えるマンションの前の大通りを見ながら時間を過ごす。
毎日何時間でも飽きずに、少し先の角を曲がってこの大通りに進入してくる車を見とめるまで。
46階からでは車なんて豆粒のようだけど、それでも直ぐにわかる。あまり頻繁には見ない車だからという事もあるけど、やはり早く帰ってきて欲しい人の車は間違えない。
部屋を全て真っ暗にして、万が一にも相手に気づかれないようにして、唯々待つ。
普通の人がそうであるように、ティエリアも朝普通に起きて仕事をしなくてはならないから、いつも夜中4時過ぎまで起きているのは体が持たない。
でも、それでも起きて待っていたいと思う。これがどんな感情なのか、恋愛経験が乏しいティエリアにはよくわからないが、多分相手を好きなのだと自分でも思う。しかも切実に。
「アレ・・・ヤ」
声にならないようなか細い声で呟いてみる。普段の偉そうな態度を知る人は驚くだろう。顔はしかめ面のままなのに、声だけが細く甘い。
その声が通じたのか、大通りにキーッと音を出しながら突入してきた黒のスポーツカーが目に留まった。
(帰ってきた)
ティエリアは途端に座っていたロッキングチェアから立ちあがると、ベッドルームへの廊下を小走りで進んだ。
マンションのワンフロア独占は無駄に広い。二人でも広すぎるのに、自分が同居する前はアレルヤ一人で使っていたのだから、贅沢も過ぎると思う。
それだけの稼ぎもあるのだから別にいいのだが、もしかしたら自分の前にも誰かが同居していたのかもしれない。思考がいつもこの時点で止まる。考えたくないからかもしれない。
ティエリアはベッドルームに入る前に再度全ての電気が消えているか目視し、ベッドに潜り込んだ。
キングサイズのベッドの中は冷たい。広くて冷たい。
片方の端に寄って横向きになる。
まもなくアレルヤが帰ってきて、隣に滑り込んでくるだろう。
ずっと寝ていたように思わせなくてはならない。仰向けに顔を見せていて、万が一寝てない事がバレたら嫌だ。
毎日やっている嘘芸だが、実はちゃんと騙せているのか毎度気になる。何も言って来ないところを見ると、アレルヤはちゃんと騙されてくれているのだろう。
そんな不安に自己対応していると、ピピッという施錠の電子音がして玄関のスライドドアが開く音がした。
靴を脱ぐ音に続いて廊下を歩く微かな音が聞こえる。ティエリアにはその後の音がどう続くのかわかる。
クローゼット内で服をかける音、シャワーを暫く流す音、キッチンでドリンクを作る音、サンデッキへ向かう音、グラスの氷の音・・およそ30分程度のこの時間も、ティエリアにとって幸せだと思える時間だ。
特別な人のプライベートな音、それを予想できる自分。
自然と口元に微笑が浮かぶ。
この顔を人前で見せたらどんなに華麗だろう、と自分を良く知る知人は言うが、ティエリアにとって自分の微笑などベッドの中で誰にも気づかれずに消えてしまってもなんとも惜しくない。
しばらくして、ベッドがわずかに揺れアレルヤが自分の横に滑り込んでことを感じた。
アレルヤは無言のまま、後ろからティエリアをそっと抱きしめる。
いつもの就寝の体勢だ。ティエリアをすっぽり包み込むように両手でティエリアの体を抱きしめ、片方の足を僅かにティエリアの足の間に滑り込ませる。
シャワーの後のほわっとした暖かさとソープの匂いがティエリアをくすぐった。
「ティエリア、おやすみ」
呟いたアレルヤは自分の顎のあたりにある菫色の絹髪に軽くキスを落として目を閉じた。
(起きてるのバレバレなんだけどね・・・)
アレルヤにはわかる。ティエリアはさっきまで起きていた。しかもサンデッキに居て、自分が帰ってくるのを待っていた。
(わかるよすぐに。体冷えてるし、足氷みたいだし)
ティエリアは普段から体温が低いが、この冷たさはずっと室外にいた証拠だ。
サンデッキはガラスで覆われているとはいえ、やはり冬の夜は室外並に寒い。
(ホント、かわいい)
毎日自分の帰りを待って、待っていることを隠す恋人を心の底から愛しいと感じる。
ティエリアと知り合って1年、この家に半ば無理やり連れてきて半年、その間ティエリア以外の事で真剣になった物などない。
あれほど遊び好きで同時進行の彼女の数も半端ではなかったのに、今は何もいらない。
早く仕事を終えて家に帰ってきたいと、仕事に行く前から考えてしまう。というか仕事に本当は行きたくない。
生まれて初めて自分の仕事が夜始まることに疑問を憶えている。 アレルヤが疑問を憶えなくても、水商売とは普通に考えて古今東西夜始まるものなのだから、こればっかりはしょうがないが、それでも悪態を吐きたくなる。せめてティエリアが自分のレストランやクラブ、じゃなくてショットバーでもいいから寄ってくれれば、それだけでも嬉しいのだが、ティエリアは基本的に飲まないし外食も嫌う。
ついでにアレルヤの仕事場だからと絶対に顔もみせない。
去年の夏過ぎ頃、真剣に全ての店舗をそれぞれ誰かに任せて、昼間のみの裏方にでもなろうかと考えたこともあった。
今でも充分過ぎる程の稼ぎがあるから、別に自分がのこのこ出て行かなくてもいい。
その相談をアレルヤが常駐するショットバー『ナットクラッカー』のマスターバーテンダーであるホンロンにしたところ、思い切り一蹴された。
「お客様は貴方がオーナーがいるから来て下さるんですよ、それをわかっていて言ってるんでしょうね?」
そう、どの店もオーナーはアレルヤ本人で、カウンターに座っているだけでも、そこにいる意味がある。
特に『ナットクラッカー』は一見さんお断りのショットバーで、どの広告媒体にも載っていないが、それでも毎晩満席なのは、一重にアレルヤを気に入ってくれて、またその知人を紹介するという好循環で生まれたものだ。
それをオーナー本人が放棄するわけには行かない。
そんなこんなでアレルヤの試行錯誤はそこで頓挫し、不本意ながらも現状維持となった。
逆にティエリアは夜の世界とは無縁どころか、基本的人間の生活とも無縁に近く、普段の生活は歩いて5分のデザインオフィスに設計作業をしに行く程度。行動半径500mの人間だ。
出会ったときはアレルヤが手伝っていた海の家『イアンヴァスティ』で働いていたが、余りにも人目を惹くので本人もアレルヤも懲りてしまい、夏が終わった途端にティエリアは今の仕事を始めて外に出なくなった。
人付き合いが苦手で人が多いところを好まないティエリアにとっては、このライフスタイルはうってつけだとはアレルヤも思う。この設計事務所自体、常勤3人の家内工業の域で、その仕事はAEUの軌道エレベーター建築の際の設計にも食い込むぐらいの実力を持つが、所詮3名で後は外注なので外界との接触は少ない。
オーナーはスメラギ・李・ノリエガという機械工学上がりのやり手の女性で、アレルヤは昔仕事上の繋がりもあった酒豪だ。
まあスメラギの後輩であるラッセの筋でティエリアという掘り出し物を発見できたのだから、あの鼻っ柱の強いスメラギも可愛く見えるということにしておく。
(でも時間があわないんだよね・・・一緒に暮らしてる意味がないよ、これじゃあ)
アレルヤとティエリアでは根本的に生活リズムが正反対だ。
昼過ぎに起きて夕方出勤し明け方帰宅するアレルヤに対し、朝起きて普通に仕事して普通に夜帰宅するティエリアでは、元来接点がない。趣味も天地の差ほど違う。『イアンヴァスティ』で出会わなければ多分一生接点がなかったに違いない。
今だって同居しているとはいえ、普段まともに出会えるのはベッドの中だけだ。
(本当ならいつも縛り付けておいておきたいんだけどね)
アレルヤは寝たふりのティエリアの髪をそっと撫でると、髪の間から現れた白い耳にキスしてみる。
何の動きもないティエリアにちょっとムっとして、今度は音を立てて耳朶に口付けて噛んでみる。
ピクッと僅かにティエリアの体が反応したのを感じる。
(せっかく起きてるんだから付き合ってもらわないと)
明日は土曜日、ティエリアは休みだ。
アレルヤは少しティエリアを自分の方向に向かせると、ティエリアのパジャマの下から手を入れ、片方の乳首を摘みながら同時に耳朶の中を舌で遊び始めた。次第にティエリアの冷たい体が熱を帯びてくるのを感じながら、今日はどうやって喘がせてあげようと思わずわくわくしてしまう。
今まで男も女も腐るほど与えてもらって、セックス界のグルメの鉄人と自他共に認定済みのアレルヤでも、一向にティエリアには飽きない。
飽きないどころか、時間が経つにつれて際限なく執着心が増量してしまう。
(ほとんど病気だ、僕。ティエリア病だ)
今までなかった自己の現象に驚きつつも、アレルヤは自分の股間で膨らみ始めた感覚に忠実になることにした。
寝不足にセックス、おまけに体力不足とあっては、行為の後のティエリアはいつも死んだように動けない。
しかも今日は、というかいつもだが、アレルヤが収まらずに最初の行為だけじゃ済まずにその後もティエリアを蹂躙し続けたので、気がついた時には思いっきり外は明るくなっていた。
ティエリアは今日は休みなので1日寝ていればいい。
綺麗に掃除したベッドに力なく横たわり微かな寝息を立てているティエリアの頬に軽くキスをすると、アレルヤはそっとキッチンに向かった。
夕方の出勤前にティエリアの夕飯を用意しておかなければならない。
ティエリアは用意しておいても食べない事が多い。
最初は興味がないのか面倒くさいのかとも思ったが、一緒に住み始めてみて、別の理由があることがわかった。
たしかに人より衣食住には関心が薄く食べれないものも多いが、それよりも極度に遠慮をする性格だった。
普段かなり偉そうなのでわかりずらいが、実は遠慮の大王だ。用意しても本当にそれが自分のものかわからない限り食べない。
だからいつもティエリアが食べるものだと明記してあげないと食べなかったりする。冷蔵庫に1つしかないものも食べない。アレルヤが食べるものかもしれないと思うからだ。
アレルヤにとっては、たとえティエリアがとっておきのワインを勝手に飲もうが、1年探し回って見つけた好物を勝手に食べようが、そんな事はどうでもよいことなのに、ティエリアは極度に遠慮をする。
最初に一緒に住もうと連れてきた時はひどかった。バスは使っていいか確認するまで使わない。
冷蔵庫のものも絶対飲まないし食べない、音楽や映像メディアもアレルヤが誘わない限り見ないし使わない。
唯一洗濯機と掃除機だけは、アレルヤの部屋でありアレルヤの洗濯物ということで使うのは躊躇わなかったが、それ以外は全てアレルヤから許可がでるまで何も手をつけなかった。
許可などとアレルヤからすると悲しいことだったが、それがティエリアが欲しているものだったらと、根気強く逐一確認するティエリアにあわせていた。
最近は随分楽になったが、食べ物については未だ以前のままだ。
(遠慮も限度を超えると病気かも)
冷蔵庫を開けると、暫く前に買っておいたティエリア用のヨーグルトがまだそのまま残っていた。フタにはマジックでティエリアと書いていある。アレルヤが書いた。でも手をつけない。
理由はアレルヤはもうわかってる。1個しかないからだ。どんなに名前が書いてあっても1つしかなかったらティエリアは手を出さない。アレルヤの分がないと思うから。
このティエリアの特殊な感情の動きは、アレルヤには至極新鮮だった。
元々アレルヤには夜の仕事をしているせいかもしれないが、人の内面や性格を瞬時に読み取る癖というか才能がある。
逆にこの才能があるから夜の仕事を続けているのかもしれない。
だから一目惚れのティエリアの事が読み取りずらい状況に、一種の新しい世界をみつけてしまったような驚きを覚えてしまったのだ。
ティエリアは極度に他人に対して遠慮する。遠慮するから人見知りもする。人見知りするから友人もいない。友人がいないからティエリアを本当に理解してくれる人もいない。
友人がそこらじゅうにいて、誰もから好かれるアレルヤと対極にいる。だからこそ、何をしてでもティエリアを守りたいと思った。
アレルヤにとっては生まれて初めての気持ちだった。
(本当なら仕事しないでいいから、この家から出ずに誰にも見られずに過ごしてくれたらいいのに)
まだ提案したことはないが。ヨーグルトを手にしながら、脂ぎった親父が考えそうなことまで思ってしまう。
(このヨーグルト、今日の夕飯の何かに使おう。そうしたら結局食べたことになる)
我ながら名案、と冷蔵庫からヨーグルトを含め必要なものを取り出した時、後ろに気配を感じた。
「ティエリア、起きたの?」
パジャマの上だけ来たティエリアがぼーっとアレルヤの後ろに佇んでいる。すらっと伸びた2本の白脚がまた扇情的だ。しかもさっきまでの愛撫の軌跡があらゆるところに残っている。
「ティエリア、目の毒だよ」
またベッドに逆戻りしたくなる。アレルヤはそっとティエリアを抱きしめると、その口に軽くキスをした。ティエリアの赤瞳はアレルヤを捕まえて、何か言いたそうだ。
「どうしたの、ティエリア?」
「・・・誕生日・・」
「誕生日?」
「・・・アレルヤの、誕生日」
カレンダーを見やる。来月はアレルヤの誕生日だ。ティエリアはアレルヤの胸中で俯いていたが、意を決したように顔を上げた。
「・・アレルヤの誕生日、休みをとった、お休みだ、前の日も」
話がわかった。ティエリアはアレルヤの誕生日の前後休みをもらったのだ。今年は2月27日は平日だから、ティエリアは基本的には仕事だけど、スメラギに休みをもらったということなのだろう。
アレルヤはにっこり微笑んでティエリアの唇にまたキスを落とす。
「ティエリア、ありがとう。一緒にどっか行こうってことだよね?僕も休みとっておくから一緒にどこかへ行こう。どこに行きたいか考えておいて」
アレルヤの言葉にティエリアが珍しく薄く微笑んだ。
「ティエリア、ちゃんと笑って。そんな中途半端な笑いはだめだよ」
ティエリアは滅多に笑みを出さないが、出しても薄い。言葉どおり薄いのだ。楽しいと思われる時でさえも。
「こんなに綺麗なんだからもっと笑顔見せなきゃ損だよ」
まあ他人には見られたくないけど。アレルヤにだけ見せてくれればいいのだ、極上の微笑は。
再度ティエリアをベッドへ引きずり込みたい気分を、密かにぐっと下腹部辺りで抑えようとしたとき、カウンター上の携帯が鳴った。
画面からマリーだとわかる。少し前に所有するレストランの一つ、フレンチレストラン『マシェリ』で雇ったパティシエだ。
アレルヤは携帯を耳にあてながら、キッチンに戻って料理の用意を始める。
「はい・・・ああ・・・そう、大丈夫だよ・・・いいんじゃないかな・・へえ・・そう・・・」
思い切り流し聞きする。基本的に採用の時に厳選して雇っているから、大方のことは各店長に任せて、アレルヤはあまり料理等には突っ込まないようにしているのだが、マリーの電話は別の意図もあるようで、アレルヤ自身も彼女の意図は解かっていたが、これまで気づかない振りをしている。
ぐだぐだ長い会話に地味にイラっとし始めたアレルヤの視界に、すごすごとベッドルームに戻っていくティエリアの後姿が入った。
よけい「イラっ」度が増した。
そして2月27日、アレルヤはティエリアと一緒に過ごすことができなかった。