「わたし、このチョコレートのやつと、そっちのチーズケーキください……」
「………」
「あ、やっぱりこっちのピンクのも」
「………」
「あらそれ美味しそう。私もそれにしようかしら」
「これお勧めですよ。この前頂いたときからもう病み付きで、私も毎日のように買いにくるぐらいでね……」
「あらそれはすごいわ。こんなところまでわざわざ? 本店に行ったほうが近いんじゃないのかしら?」
「そうなんですけど、このお店でしか売っていない種類もあるんですよ」
「え、そうなんですか? どれどれ?」
客は三人しかいないというのに、朝一番だというのに、日曜日だというのに、どうして女という生き物はここまでかしましいのか。
ティエリアは最初の女の会計を済ませると、無愛想に「次どうぞ」と本日二番目に入ってきた中年の女性を促す。
並びながら買うものを必死にメモしていた彼女が、じゃあと注文しようとしたとき、
「あ、なにこのチョコ、か、わ、い、い〜!」
今会計を終えた女がドア横の飾り棚に置いてあったチョコレートを見て大げさに首を振った。
買い終わったならとっとと帰れ。
心の中で念じるが、長髪ストレートの女はむき出しの足をジタバタさせながら、花かごの中にインテリア宜しく埋め込まれているチョコレートの包みを幾つか取り出して、ティエリアの前に置いた。
「これも貰っていきます」
「………」
「あらそれかわいいわねぇ」
「ケーキ屋さんなのにチョコレートも売っていたのね」
「これ、たしか雑誌で読んだんですけど、有名なショコラティエが作ってるらしいですよ」
「あ、それわたしも読んだことあるわ。ショコラティエがパティシエになったって」
「そうそう、んですっごくイケメンなんですよ〜!!!」
すでに買い終わった女がケーキの箱をぶらぶらさせながら叫ぶ。
箱をゆするな! ケーキがひん曲がるだろうが!
ティエリアの怒りの声は、だが彼女に届くはずもない。
さっさとチョコレートでもケーキでもなんでも買って帰ってくれ。
「でもそのイケメン君、本店にいるらしくて、ここにはいないんですって」
「あら、残念」
「でもここのパティシエさんも綺麗だから」
「ね〜」
「ね〜」
ああああああああああ。うるさい。うるさい。うるさい。
三人はまだ暫く買い物ついでに喋り捲り、それぞれがケーキとチョコレートを買って帰っていったが、店の外には既に店に入りきらない客が辛抱強く列を作って待っている。
ティエリアはうんざりしながら、とりあえず窓から中を覗いている客を片付けようと、黙々とケーキを詰めてレジを打ち続けた。
天才パティシエ、セルゲイ・スミルノフが『北の荒熊』の支店『海の荒熊』をとある海辺の町にオープンさせたのは夏前のことだ。
安易なネーミングだったが、もう誰も突っ込むことはしなかった。
そこを一人で切り盛りしろと言われたティエリアは、時を同じくして店の二階に引っ越してきた。
ギリシャ風の白い壁に青い屋根の小さな一軒屋は、ビーチ沿いに並ぶ観光客のそぞろ歩きスポットから少し離れたところにある。
引越しを手伝ってくれたニールは「こんなところでケーキが売れるのか?」といぶかしげな様子だった。ティエリアも同感で「こんな夏しか人のいないような場所で生活のマストアイテムでもないケーキ屋など儲かるはずがない」と思っていた。
夏の間はちょっとセレブな観光客や長期滞在者の多い街で、たしかにヨットハーバーに居並ぶ船はクルーザーと呼ぶにふさわしい豪華なものが多い。
だが、それだけだ。
ティエリアの目には、夏を過ぎればただの古ぼけた海岸端の小さな町にしかみえなかった。
……だがしかし。
そんな店長兼店番兼パティシエの予想とは裏腹に、オープニング当日から客が怒涛のように押し寄せてきたのだ。
それは本店『北の荒熊』をしのぐ勢いで、ティエリアは暫く休みを取ることもかなわず、気がつけば夏のシーズンを終えて、観光客の波が引いた九月になっていた。
しかし、それでも客は減らなかった。
毎日のようにどこからともなく女性客が現れ、たいがい昼頃には全部売り切れてしまう。しょうがないので『北の荒熊』で作っている焼き菓子や、新しくきたショコラティエが作ったショコラを定期的に持ってきてもらって並べているものの、それらも在店率はかなり低い。
いったい世の中はどうしてしまったのか。
またどこかの雑誌かなにかがスウィーツ特集なるもので煽っているのだろうか。
ティエリアにはとんと理解のできない状況が、開店以来数か月続いているのだった。
結局この日曜日も昼前に全て売り切れてしまい、ティエリアは表に「売り切れにつき閉店」と書いた板看板を出すと、昼ごはんを食べに行こうとパティシエ帽とコックコートを脱いで外へ出た。
明日は休みだ。
そして今日は午後からニールがこっちに泊まりにくることになっている。
相変わらず多忙な彼だが、ティエリアがここに越してきてからは、なるべく店の休みには仕事を入れないように努力してくれている。日曜日は午後から月曜日にかけて一緒に過ごすのがここ数ヶ月のスタイルになっている。
だから日曜日は早くに売り切れてくれて、ティエリアとしてはありがたい。
腕時計を見ると、丁度十二時十五分だった。起きてから随分時間が経っているが、まだ一日の半分残っている。
パティシエは朝が早いので、一日が長い。
のんびりとまだ夏の名残のある太陽光を浴びながら商店街のほうに歩いていくと、観光船などが着くヨットハーバーのほうから誰かが歩いてくるのが見えた。
相手がこちらに向かって手を振っている。
ニールにしては早すぎる。それにちょっと体の線が細すぎる。メガネを店に置いてきてしまったので、ちょっと先はもうぼやけていて輪郭が定まらない。
目を凝らしてじっと近づいてくる人の形を見つめていると、
「おいおい、そんな人相の悪い顔しないでほしいな」
ティエリアと入れ違いに『北の荒熊』で働き始めたショコラティエ、デカルト・シャーマンだった。
「なんだおまえか。何しにきたんだ」
「あいかわらず失礼だなぁ。オーナーに頼まれてショコラを作って持ってきたってのに」
「誰も頼んでない」
「こっちの店ですごく売れ行きがいいってんで、オーナーは常備品として置くことに決めたらしいよ」
「はぁ?」
「ってことで、俺も当分ショコラばかり作る羽目になるらしい。パティシエとして身売りされたっていうのに結局はショコラを作り続けるなんて皮肉なもんだ」
ふっと口端だけあげて笑う。唇に刺さったピアスが陽に当たってきらっと光る。
デカルトは当初来る予定だったヨハン・トリニティが突然失踪、約束を反故にしたため、『ベルエポック』から無理やり『北の荒熊』に譲渡?されてしまった、ある意味可哀想な男だ。
ティエリアも彼の立場的なものに当初は同情したのだが、いつまでも悲観的に自分を哀れんでいる悲劇の王子様ぶりに、同情などとっくのとんまに消えてしまった。
今ではただただ疎ましくてしょうがない同僚だ。
ベーカリーで具がたっぷりはいったサンドイッチとオレンジジュースを買って海際のベンチで食べようとしたら、デカルトもティエリアの真似をして横に座った。
うざったいが文句言うのも面倒臭くて、二人で並んで海を眺めて口を動かす。
「そういえばみんながよろしくって言っていたよ」
「みんなって誰だ」
「クリスとか、ハレルヤとか」
ハレルヤもやはりティエリアと入れ違いで『北の荒熊』の店員に雇われたアレルヤの双子の弟だ。
あのどうしようもない不良男がどんな顔してケーキを売っているのか想像できないが、デカルト曰くハレルヤがいるとケーキが良く売れるらしい。
半分脅して買わせてるんじゃないかと邪推しないでもないが、どうやらあの不良トーク……歯に物を着せぬ喋りが女性客のハートを掴んでいるようだ。
あんな男、指一本ですら掴まれたくないものだが……。
「あ、それからこのまえはニールがきてさ」
「ニールが?」
突然名前が出てきて喉にサンドイッチの具のサーモンがひっかかって、ティエリアは慌ててジュースで押し流した。
大丈夫? と言いながら、デカルトはなんだか浮かれた様子で話し出す。
「そう。いつだったか、一週間ぐらい前、かな。突然ケーキ買いに来てさ。あんな有名なモデルでも自分で買いにくることあるんだねぇ。プレゼントしたいからってちょっと前に特別注文入ってて、それを受け取りに来たらしいよ。わざわざ特別だからってオーナーが作った小振りのチョコレートケーキでさ。びっくりしたよ。花束抱えてるからさ。あれ、きっとこれからデートなのかもなんて皆で話してたんだけどさ……」
「………」
「なんか女性へのプレゼントだったらしいな、それ。誰だったか……」
「なんでそんなことおまえが知っている」
「クリスが聞いたんだってさ。あいつ、そういうこと訊きだすの好きだし上手いから」
嫌な予感がした。
嫌な名前を聞いてしまいそうな気がして、ティエリアは咄嗟に手に残ったサンドイッチをがぶっと丸ごと口に押し込めると、勢い立ち上がる。
これ以上こいつと一緒にいると、無駄なことを考えてしまいそうで、黙って口を動かしながら歩き去ろうとしたとき、
「ああ、そうだ思い出した」
背中にデカルトの卑下たくすり笑いが追いかけてきた。
「まえに俺のいた店の広告モデルしてた女……、アニュー・リターナー」
やっぱり。
やっぱり、これか。
ティエリアはかなり前に押し込めた僅かなもやもやがまたお腹あたりから湧き出てくる感触を無視しようと、力いっぱい足を踏みしめて歩き始めた。