待ち合わせに指定した『トリニティ』内のメインロビーにロックオンがエレベーターで降り立つと、既にティエリアは数ある椅子の1つに腰掛けていた。俯いていてはっきりとは見えないが、何か考え事をしているような曇った表情をしているのがわかり、ロックオンは無意識に1トーン上で声をかけた。
「悪い、待ったか?」
ロックオンが声をかけるとティエリアはのろのろと顔を上げ、笑みを漏らしてきた。
「いいや、待ってない、僕も今終わったところだから」
「うちでミーティングがあったのか?」
「うん、『ローザ』用の最終PC調整があって」
ティエリアは椅子から立ち上がると歩き出したロックオンの横に並んだ。髪の毛を後ろで一つに束ねているせいで綺麗な顔の輪郭が浮き彫りになっている。ロックオンが横上から視線を投げると、すっと通った鼻梁の横に長睫に隠れた紅瞳が瞬きするのが見える。何かあったのか、最近のティエリアには余り見られなかった一種どんよりした表情がその顔を覆っているようだった。
ロックオンはつつこうかと一瞬迷ったがやめた。何か言いたくなったらティエリアから喋ってくるだろう。それにさっき交わしたヨハンとの会話がロックオンの心にブレーキをかけているのも事実だった。
思ったよりティエリアと接近しすぎているということを思いもかけずヨハンから指摘された。ヨハンはそのつもりがなかっただろうしロックオンも指摘されたつもりもない。結果的にロックオンが気づいてしまっただけだ。所詮賭けの駒にすぎないティエリアに何か上乗せでしてあげる必要はないことはロックオンもわかっている。来週の『ローザ』オープニングに同伴するとティエリアは既に了承しているのだからもうこの男と時間を過ごす必要もないし、電話もかけてやる必要もない。今日は最後の駄目押しセックスと『ローザ』の為の用意を整えてやる為だけに会うだけだ。
二人はロックオンの車でブエナスエラ地区のガス燈通りにある洋服屋へ行き、ロックオンはそこでティエリア用に既に依頼してあった洋服を引き取った。
その場で確認の為にその洋服にティエリアが袖を通すと、サイズはピッタリでロックオンのイメージ概要だけで仕立てた初老のテーラーも吃驚を隠さなかった。
テーラーはしきりに自分の仕立てた洋服に身を包んだティエリアを褒めていた。
ティエリアは複雑な顔で脱ぎ気を繰り返していたが、壁に寄りかかり腕を組みながらジッと自分の晴れ着姿を見つめるロックオンを見ると、嬉しそうに微笑んだ。
洋服の入った箱を車に載せてからティエリアが連れて行かれたのは、今までロックオンが連れて行ってくれたレストランとは一風変わって妙にカジュアルな店だった。
外にあるテラス席は夏場は夜も賑わっているのだろうが、冬の夜は椅子も引き上げられてしまって何もない。代わりに店の中からは煌々とオレンジ色の光が漏れてきて温かいアットホームな雰囲気が外から見ただけで伝わってくる店だった。
車を店の目の前に路駐して入ると、中からいらっしゃ〜いと元気な掛け声とともに、店指定のオレンジ色のエプロンをした男の子が厨房から飛び出してきて、ロックオンだと見止めるともう一度元気に挨拶をしてきた。
「あれ、ロックオン、珍しいね、夜に来るなんて」
「よ、沙慈、変わりないか?」
壁のフックにコートをかけて椅子に座った二人に、沙慈が水とメニューを持って机においた。
「最近忙しかった?全然お昼も来ないからどうしたかと思ってたよ」
「ああちょっと色々バタバタしててな・・・」
「姉さんも心配してたよ、ちゃんと生活してるのかって」
ティエリアは二人の会話は無視してメニューを一ページずつ捲っている。そんなティエリアに沙慈は本日のオススメやメニューに載ってない品を幾つか口頭で紹介した。
「絹江は元気か?相変わらず忙しいのか?」
ロックオンは沙慈に適当にお前にまかせるとメニューを投げるとおもむろに聞いた。
ティエリアのオーダーを聞きながら沙慈は「うん」と返事をすると、中へ早足で戻っていった。注文をメモらないので忘れる前に厨房に伝えなくてはならないらしい。じゃあメモればいいのにとロックオンは毎度思うが、沙慈は意外に生活習慣などが柔軟じゃないので、一度決めたやり方はどんなにそれが非効率でも変えずに通すタチだった。
「彼は知り合いなのか?」
グラスの水を一含みしてティエリアが尋ねてくる。
「ああ、アイツが小さい頃からの知り合いだ。アイツとアイツの姉さん、絹江って言うんだけど、あいつらは昔俺のマンションの隣に住んでたんだ。俺が引越しちまって接点自体はなくなっちまったけど、昔色々世話になっててさ」
「お姉さん?」
「ああ、絹江はTVの報道記者でな、いつも忙しく動き回ってるからこうやってたまに沙慈の様子見にきたりもしてる。アイツまだ高校生だしな、やっぱ一人で大変な時もあるだろうし」
そうかとティエリアは呟くと、この話題から離れる様子を見せたが、ロックオンがそうはさせなかった。
「俺の家族はもういなくてな、昔テロで一気にバンと死んだんだけど、独り残されて腐ってた時にあいつら姉弟が隣に住んでて色々面倒を見てくれた」
「・・・」
「あいつらいなかったら、俺は今こうやって普通に生活してないかもしれない。それだけにすげー感謝してるし、あいつらの為ならできるだけの事をしてやりたいと思ってる」
「そうか・・・」
「お前さっきから「そうか」しか言わねえな」
「そう・・」
そうかと言いそうになってハタと気づいたティエリアが、ばつが悪そうに俯いた。ロックオンはそんなティエリアを軽く笑い飛ばすと、安心させるように付け加えた。
「悪い、お前に変な気使わせるために喋ったんじゃないから。単に俺のこと知ってて欲しいと思っただけだから」
言いながら自分でどっちなんだよと突っ込んでみる。
今日この店にティエリアを連れてきたのは自分の気持ちを確かめるという意味でだった。沙慈を見て絹江を思い出す。絹江の為にティエリアの存在を純粋に頭で考える。何の為にこの男に近づいたのか、何の為に抱いたのか、何の為にその気にさせたのか。
そして頭でなく心が自分の知らないところで下そうとする結果を自分の中から追い払う。
別に絹江かティエリアのどちらかを選ぶ必要はないことは最初からわかっている。ヨハンは二者択一のような言い方をするが、この二人は別物で、どっちかを拾ったからどっちかを捨てなくてはいけない性質のものじゃない。ティエリアと来週皆の前に現れて、絹江は無罪放免自由に報道活動もできるようになって、それでもロックオンがティエリアを離さなければいいだけの話だ。
話はいたって簡単だ。
でも世の中では簡単な話もロックオンの心の中では複雑なモノに様変わりする。
今更だが、ロックオンはどうしてもティエリアの不純な躰に抵抗があった。暴行されかけて怯えていたティエリアを初めて助けた時、その後またエスランで襲われそうになって泣いていたティエリアを自分の腕の中に抱いた時のティエリアにロックオンは絆された。心が動きかけていた。今まで特定を作らずに遊び歩いて、ティエリアのことも遊び程度に考えていた自分が絆されかけた。それを認識しているから、余計にティエリアの躰が既に淫らだったことに頭で考えるより心がショックを受けた。
だからヨハンが絹江から手を引いた後もティエリアをそのまま自分のモノにしてしまうことに拒絶感を抱いているのだ。
ティエリアは自分の事が好きだろう。それはこの二ヶ月の彼の言動から明らかだ。恋愛に疎いティエリアは駆け引きも知らないだろうから好意をワザと隠すこともしない。最初気がなさそうに見えたのは戸惑っていただけで、決してロックオンが嫌いだとか相手の感情で遊んでやろうというヒネたものではない。
その真っ直ぐな思いと、それと背反する躰・・・元来曲がったことが嫌いである意味折り目正しいロックオンには、ティエリア理解ができないでいた。
カジュアルということは費やされる時間もカジュアルということで、カフェで早々に沙慈に別れを告げたロックオンは当たり前のようにティエリアの自宅まで車を走らせた。出会って食事をして、その後ティエリアの家に行って躰をむさぼるのがここ毎週末の定番化した時間の過ごし方だった。
一度抱いてしまえば心の不可解さはともかく、ロックオンの体は素直にティエリアに欲情したし反応もした。目の前に差し出されるものを無理やり理屈をつけて拒める程ロックオンも年を取っているわけでもなかった。
寧ろロックオンから言わせれば、最初に身体を繋げた後はティエリアのほうが積極的にロックオンを受け入れていた。自分から誘うことはなかったが、ロックオンがその気になれば拒むことはなかったし、決してそれも力づくというわけでもなかった。
ベッドでのティエリアは常に従順でロックオンが望むことは全て具現化した。それがまた卑猥でロックオンの雄がティエリアを前に疲れることを知らなかった。
この夜もティエリアの家に着くなり二階のベッドに直行し、外が明るんでくるまでロックオンは傷一つない白い肢体に自分の雄を吐き出した。ティエリアも喘ぎながら何度もロックオンの手によって達し、ロックオンの引きしまった体にピタリと寄り添い、その腕に包まれるのをよしとしている。
「お前はあんまり自分のことは話さないな」
ふとロックオンは今まで何度かベッドの中で睦みあっているときに思った感想を述べた。
「寝た女はよく気を許して自分の話をしてくる。裸だと言いやすいのかわからないが、普段言えないことや自分の秘密を案外素直に洩らすもんんだがな・・・お前は違うな」
「・・・何もないから、俺には」
ティエリアの小さな声とともに微かな吐息がロックオンの胸に当たる。ロックオンは腕中のティエリアの華奢体を四肢で絡めとると、自分の体と融合させるかのように抱きしめてみた。
二つの体が溶け合って混ざり合う不思議な感覚に、ロックオンはうまく表現できない居心地の良さを感じていた。そしてこの瞬間、ロックオンの心がティエリアという存在を素直に自分が思うままに理解すればいいのではいいのだと告げている気がしていた。
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「お前、マジで化かしたな」
「お褒めの言葉ありがとう、それとも降参宣言か?」
ヨハンが本気で感嘆の声を出すのは滅多にないことで、ロックオンはあからさまに勝ち誇った表情で悪友の言葉に返答した。
タキシードに身を包んだヨハンは隣に同伴させた女性そっちのけで、別の客に捕まって声をかけられているティエリアに露骨に視線を這わせている。そのネチっこい視線は別にヨハンからだけではなく、類似が多方面からこの性別不詳の人形に注がれていて、ロックオンは変な言い方だが自分の持ち物が褒められているような感覚を受けていた。
海千山千の招待客達の中で、ヨハンが指摘したとおりティエリアはまさに一人輝いていた。
先週ロックオンと一緒に引き取りに行った衣装は、この地域では珍しい、その昔人革連の一国で着る習慣のあったアオザイと呼ばれる元来は女性用の民族衣装だった。襟元はチャイナカラーで、上着は膝あたりまで長く、左右横に腰辺りからスリットが入っている。細身のズボンをはいているし長袖でもあるので露出度は極めて少ないのだが、逆に体にそれなりにフィットした微妙な布余と異国テイスト、そして横のスリットが男には新鮮に何かを期待してもいいような錯覚に囚われる雰囲気を醸し出している。夜会、賭博場のオープニングという名目柄、露出度の多い客が多い中でストイックに生肌を隠すティエリアは逆に目立ってみえた。
薄い藤色のアオザイが真っ白なティエリアの肌と同系色の茄子色のアップにした髪の毛によく似合っている。
ロックオンは遠目で眺めながら自分の全ての選択に満足しながら、手に持ったシャンパングラスを一気に空にした。
彼処に巡回しているウェイターの一人がすかさず新しいグラスと交換してくれる。
『ローザ』のオープニングに出した正式招待状は1000枚。中にはものすごい額のプレミアがついた巷での招待状売買もあったらしいが、『トリニティ』としては一度出された招待状についてはそれがどう使われようが関知はしていない。招待客と違う客が来ることにリスクがないわけではないが、高額の値がつくということが宣伝材料にもなるので、セキュリティを万全にして後は毎度放っておくことにしていた。
「つーこって、これで絹江クロスロードからは手を引けよ、ヨハン」
ロックオンの最終確認にヨハンは、
「イエスという前にひとつ確かめさせてもらうぜ、一応賭けだからな」
と言うと、少し先で別の男に捕まっていたティエリアに近づくと、その口説いていた男に二言三言囁き、ティエリアを連れてきた。
ティエリアはロックオンの横に立つと不安げな顔を自分のエスコート役に向ける。何か粗相をしでかしたのか?と眼で訴えてくるので、ロックオンは優しく蒼瞳で笑んだ。
「ティエリア、君はロックオンをどう思ってる?」
「ヨハン、なんだ突然そんな・・ティエリアが吃驚するだろ」
ロックオンが呆れたように窘めるが、ヨハンは気にせずに畳みかけた。
「いや、俺は純粋にティエリアがお前をどう思ってるのか聞きたいだけさ。お前が脅迫してここに連れてきたとも限らないからな」
事の成り行きが掴めていないティエリアはどう答えたもんか詰まっていたが、どうも自分がどうしてロックオンの同伴としてここに来たかを聞かれているのだと理解し始めているようだった。
普通この『ローザ』のようなパーティに同伴する相手はやはり伴侶か恋人かが普通だ。そういう類がいない可哀そうな人間は金で絶品を雇ったり友人にその役どころを演じてもらう。
ヨハンもロックオンも自分たちが賭けの張本人なのだから、ティエリアがロックオンの本当の恋人ではないことは百も承知でヨハンは汚い質問を吹っ掛けたのだった。
ロックオンもヨハンも、心中ではティエリアが返答に困って何も言わないのはないかと予想していた。それにロックオンからすればティエリアが自分を本当に好きなのかどうかもまだ確信としては持てないでいたのもあった。
しかし二人の秘かな予想に反して、ティエリアの言葉は素早くクリアに飛び出してきた。
「僕はロックオンを愛している・・ロックオンがどう思っているかは知らないが・・今日誘われて嬉しかったし、ここにロックオンの隣にいることも勿論自分の意志だ」
ティエリアはヨハンから視線を外さずにそう答えると、ロックオンの腕をさりげなく取って自分のそれを絡めた。逆に少し驚いた顔を隠せなかったのはロックオンで、ヨハンに目線を固定したままのティエリアにはその表情を捕えることはできなかっただろうが、ヨハンの目には悪友の滅多に見られない表情をしっかり焼き付けることになった。
ヨハンはじっとティエリアを見ていた。その眼は裏社会を自由自在に転がすことができる人間だけが持つ光を放っていたが、ティエリアも一歩も引かなかった。瞬きせずに紅瞳を眼前の『トリニティ』代表に注いでいた。
先に視線を外したのはヨハンだった。彼は急に何がおかしいのか笑いだすと、ロックオンの眼前に持っていたワイングラスを掲げた。
「ロックオン、今回は俺の負けだ、あとは任せろ」
追加でウィンクを残すと、同伴の女の腰に腕をまわしてヨハンは二人の前から動き去る。その姿を目で追いつつもティエリアがロックオンを見上げた。
「・・何をお前は勝ったんだ・・?」
「何でもない」
ロックオンは小さく一つ嘆息すると、ティエリアの頬を軽く手でなぞった。
「・・お前の癖だな、それ・・」
「・・・?」
「そうやって人の頬を手で触るの・・」
「そうだったか?・・気がつかなかった・・・」
ロックオンは柔らかい酒で少しピンクかかった頬の上を指でなぞり続ける。その頬がますます色を増して熱を帯びてくるのが指から伝わってくる。
ふいにティエリアは自分の頬を伝っていたロックオンのごつい男手を取ると、その甲にそっと唇をあてた。しっとりと僅かに湿った柔らかい感触がロックオンの肌に伝わる。ロックオンは背筋がぞくっと僅かに痙攣した気がした。
「・・ティエリア?」
ロックオンの手の甲から唇を離したティエリアは、顔をあげるとロックオンに向かって微笑んだ。その微笑みはたとえようのない程に綺麗で、この世のものとは思えない程に美しかった。
「今日は本当にありがとう」
ティエリアは送車に乗り込む前にもう一度振り返った。
パーティーはつつがなく終わり、深夜を過ぎると今度は賭博場『ローザ』お披露目という名目でこのカジノで初遊びをする時間となる。
ロックオンはティエリアをカジノで遊ばせるつもりは毛頭なかったので、パーティーが終わりに近づき初遊びをする人間がカジノに移動するころ合いを見計らって、会社の車でティエリアを先に家に帰すことにしていた。
『ローザ』正面の車寄せにはほとんど人がいなかった。招待客は元来カジノ遊びが好きな金余り人種がほとんどだ。招待された時点でパーティーだけではなくそれ以上のスリルを楽しみたくて参加を決めたのが大半だっただろう。彼らが一遊びして車がごった返すのは朝日が昇ってからだ。多分ロックオンもそれまで付き合わなくてはならないから、ティエリアだけは今のうちに帰しておかなければならなかった。
「今日はありがとう、一緒にいてくれてよかった」
ロックオンは素直に礼を言うと、ティエリアを車の後部座席に促した。
ティエリアはロックオンが開けてくれたドアから即座に乗ろうとはせず、開いたドアとロックオンの間に立つと、少し背伸びをして先程とは逆に今度はロックオンの頬を自分の両手で包むと、自分の唇を静かにロックオンのそれにあてた。
ちゅっという幽かな音がして唇が離れる。
「メリークリスマス」
ティエリアがささやいた。
「まだ早いだろ、あと数日ある・・・」
「でもそれまでにもう会えないかもしれないから」
ティエリアはそう呟くと、車の後部座席に滑り入ると自分で中からドアを閉めた。
ロックオンは軽く手を降ったが、スモークが張った車窓越しではティエリアが手を振り返してくれたかはわからなかった。